先生に失望して人が信じられなくなった
生きテク提供者
名前: 名無しさん
性別: 男性
職業: 正社員
最も自分に過酷だった状況
小学生から大学生までの間。
ずっと先生を信じることができなかった。
小学校1、2年生の時の女の先生が人格者だったことと、
両親の教育の影響もあって、
先生や権威ある人は絶対的な存在
(皆、素晴らしい人)だと信じていた。
ところが小学校3年生の頃、
校則で革靴禁止の抜き打ち検査があり、
校庭で数人の先生が一人一人チェック。
雨の予報でクラリーノの靴を履いていた僕は
年配の女の先生に革靴なので校則違反だと咎められた。
革靴ではないと母に言われていたので、
事情を話すも、先生は聞く耳をもたず。
信じてもらえない事にショックを受けた。
ずっと先生を信じることができなかった。
小学校1、2年生の時の女の先生が人格者だったことと、
両親の教育の影響もあって、
先生や権威ある人は絶対的な存在
(皆、素晴らしい人)だと信じていた。
ところが小学校3年生の頃、
校則で革靴禁止の抜き打ち検査があり、
校庭で数人の先生が一人一人チェック。
雨の予報でクラリーノの靴を履いていた僕は
年配の女の先生に革靴なので校則違反だと咎められた。
革靴ではないと母に言われていたので、
事情を話すも、先生は聞く耳をもたず。
信じてもらえない事にショックを受けた。
どんなふうに苦しかったか?
以降、中学時代は教師を信じたい部分を表に出せなくなり、
授業中しゃべる等、不真面目な態度を取り続けていた。
開き直ることもできず、中途半端な感覚。
欠席はせず、勉強も普通にしていたが、
「一緒に皆で」等の活動には、
信じたくても信じることができず、冷めた態度を取っていた。
人を信じている人間に対しても、
距離を置くようになり、
自分は本当に冷たい人間ではないかと思い、
自分のことが嫌いになり、苦しかった。
授業中しゃべる等、不真面目な態度を取り続けていた。
開き直ることもできず、中途半端な感覚。
欠席はせず、勉強も普通にしていたが、
「一緒に皆で」等の活動には、
信じたくても信じることができず、冷めた態度を取っていた。
人を信じている人間に対しても、
距離を置くようになり、
自分は本当に冷たい人間ではないかと思い、
自分のことが嫌いになり、苦しかった。
かいけつ!「これで助かった」という方法は?
浪人を何年かして、大学に入学。
教職課程の最初の日本史の講義は、
教科書をただ読み進めるだけだった。
中学生に対する授業のようで「これが講義か」と
ショックを受けたと共に、
先生を生み出すシステムそのものに疑問を感じた。
考えた結果、
先生という存在は絶対じゃない
との結論が出て、すとんと納得。
教職課程の最初の日本史の講義は、
教科書をただ読み進めるだけだった。
中学生に対する授業のようで「これが講義か」と
ショックを受けたと共に、
先生を生み出すシステムそのものに疑問を感じた。
考えた結果、
先生という存在は絶対じゃない
との結論が出て、すとんと納得。
その後。苦境を乗り越えた今、これから何をしたい?
冷たい態度や不条理な態度に直面しても、
納得して、それをいつまでも引きずらなくなったので、
権威ある人でも、個人として見る事ができるようになった。
そして、冷めた態度を取ることもなくなり、
自分の行動に自信が持てるようになった。
納得して、それをいつまでも引きずらなくなったので、
権威ある人でも、個人として見る事ができるようになった。
そして、冷めた態度を取ることもなくなり、
自分の行動に自信が持てるようになった。
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