愛した人には2500万の借金、生まれたばかりの我が子を抱えて
生きテク提供者
名前: 名無しさん
性別: 女性
職業: その他
最も自分に過酷だった状況
今から約8年前。
22歳から23歳にかけて、子供を身篭っていた。
だが丁度その時、相手の男性(籍は入れていなかった)には
2500万円の借金があり、
その返済と育児の両方で心身ともに疲れきってしまった。
男性のキャバクラ通いによって作った2500万という借金だが、
本人は銀行員として年収1200万円の稼ぎがあったのにも関わらず、
全8社のカード会社からお金を借りていた為、
28%もの金利の支払いだけでも月々とんでもない額になってしまい、
正にそれは「自転車操業」とでも言った方が良さそうな
先の見えない借金地獄に陥っていた。
そんな多額の借金を抱えていた為に、
出産前も出産後も大した休養を取れぬまま、
仕事に没頭する日々が続いた。
22歳から23歳にかけて、子供を身篭っていた。
だが丁度その時、相手の男性(籍は入れていなかった)には
2500万円の借金があり、
その返済と育児の両方で心身ともに疲れきってしまった。
男性のキャバクラ通いによって作った2500万という借金だが、
本人は銀行員として年収1200万円の稼ぎがあったのにも関わらず、
全8社のカード会社からお金を借りていた為、
28%もの金利の支払いだけでも月々とんでもない額になってしまい、
正にそれは「自転車操業」とでも言った方が良さそうな
先の見えない借金地獄に陥っていた。
そんな多額の借金を抱えていた為に、
出産前も出産後も大した休養を取れぬまま、
仕事に没頭する日々が続いた。
どんなふうに苦しかったか?
病院にいる間も他の新米ママや妊婦さんが
とても羨ましく思え、とても惨めだった。
産休も取らずにヤクルトのおばさん業で
毎日6~7時間(1日150件周る)ひたすら働いていたが、
それでも月収は僅か10万円程度で、
それすらも家賃や光熱費でほとんどが消えていった。
家に帰れば今度は育児という大きな仕事が待っているわけで、
自分のプライベートな時間など皆無に等しかった。
それでも児童扶養手当でなんとか子供の面倒は見れていたが、
苦しい生活には変わりはなかった。
親からは相手の男性との付き合いを反対されていたのだが、
それを押し切って交際・妊娠したので、実家に頼るわけにもいかない。
逃げ場も無く、休める時間も無く、借金返済の目処も立たず、
希望など何処にも無く、相手の男とも徐々にすれ違うようになり、
それが更なる淋しさを生み、
「生きていても意味が無い」と次第に思い始める様になった。
そんな毎日にとうとう耐え切れなくなり、
自分でも己の精神状態をセーブできなくなり始める。
しかし授乳期間だった為、
病院に行って薬を処方してもらったり、酒に走ったりするという、
そんな選択肢すらも私には与えられなかった。
その結果、徐々に奇行が増えていくことに。
例えば、子供と一緒に死のうと決め、
2月の寒空の下を1時間以上も歩き続け、
たまたま入った神社で水浴びをしたり。
他にも、深夜に片っ端から知らない人に電話をし、
「今から死のうと考えている」などと赤の他人に話したりと、
明らかに自分自身が狂い始めていた。
とても羨ましく思え、とても惨めだった。
産休も取らずにヤクルトのおばさん業で
毎日6~7時間(1日150件周る)ひたすら働いていたが、
それでも月収は僅か10万円程度で、
それすらも家賃や光熱費でほとんどが消えていった。
家に帰れば今度は育児という大きな仕事が待っているわけで、
自分のプライベートな時間など皆無に等しかった。
それでも児童扶養手当でなんとか子供の面倒は見れていたが、
苦しい生活には変わりはなかった。
親からは相手の男性との付き合いを反対されていたのだが、
それを押し切って交際・妊娠したので、実家に頼るわけにもいかない。
逃げ場も無く、休める時間も無く、借金返済の目処も立たず、
希望など何処にも無く、相手の男とも徐々にすれ違うようになり、
それが更なる淋しさを生み、
「生きていても意味が無い」と次第に思い始める様になった。
そんな毎日にとうとう耐え切れなくなり、
自分でも己の精神状態をセーブできなくなり始める。
しかし授乳期間だった為、
病院に行って薬を処方してもらったり、酒に走ったりするという、
そんな選択肢すらも私には与えられなかった。
その結果、徐々に奇行が増えていくことに。
例えば、子供と一緒に死のうと決め、
2月の寒空の下を1時間以上も歩き続け、
たまたま入った神社で水浴びをしたり。
他にも、深夜に片っ端から知らない人に電話をし、
「今から死のうと考えている」などと赤の他人に話したりと、
明らかに自分自身が狂い始めていた。
かいけつ!「これで助かった」という方法は?
そんな風にして自殺予告をする電話を
見知らぬ他人にかけるなどの奇行を繰り返していたのだが、
たまたま電話をかけた先の人が
真摯に気持ちを受け止めてくれ、
2時間近くも話に付き合ってくれたのだ。
「子供が成長したら、将来も変わるよ」と諭され、
ようやく「もうちょっとだけ頑張ってみようかな」と思い始め、
その時は死ぬのを留まった。
ちゃんとしたママ友もおらず、
昔からの友達にも相談できず、
誰にも家庭の事情を話せずにいた。
その電話の相手は初めて自分が
心から全てを話せた人だったと思う。
顔の見えない相手、知らない相手だからこそ、
普段は話せないこともすらすらと語れるのだろう。
そして本当は私は死にたくなかったのだということに気付いた。
見知らぬ他人にかけるなどの奇行を繰り返していたのだが、
たまたま電話をかけた先の人が
真摯に気持ちを受け止めてくれ、
2時間近くも話に付き合ってくれたのだ。
「子供が成長したら、将来も変わるよ」と諭され、
ようやく「もうちょっとだけ頑張ってみようかな」と思い始め、
その時は死ぬのを留まった。
ちゃんとしたママ友もおらず、
昔からの友達にも相談できず、
誰にも家庭の事情を話せずにいた。
その電話の相手は初めて自分が
心から全てを話せた人だったと思う。
顔の見えない相手、知らない相手だからこそ、
普段は話せないこともすらすらと語れるのだろう。
そして本当は私は死にたくなかったのだということに気付いた。
その後。苦境を乗り越えた今、これから何をしたい?
授乳期間が過ぎ、ようやく子供を保育園に預けられる様になり、
時間にゆとりが出来た。
ヤクルトの仕事も辞め、
法律事務所に事務の仕事で働くことにした。
ヤクルトを配る仕事と違い、
デスクワークだったこともあり肉体的な負担が減り、
子供を預けたことで自分の時間を持つことも出来た。
次第に借金返済の目処も立ち、相手の男性との仲も良くなり始め、
プライベートにやっと余裕が出てきた。
そして先の見えない暗闇から解放され、
将来へ希望を見出すことが出来るようになり、今に至る。
時間にゆとりが出来た。
ヤクルトの仕事も辞め、
法律事務所に事務の仕事で働くことにした。
ヤクルトを配る仕事と違い、
デスクワークだったこともあり肉体的な負担が減り、
子供を預けたことで自分の時間を持つことも出来た。
次第に借金返済の目処も立ち、相手の男性との仲も良くなり始め、
プライベートにやっと余裕が出てきた。
そして先の見えない暗闇から解放され、
将来へ希望を見出すことが出来るようになり、今に至る。
この生きテクを読んで、死ぬのをやめよう、もしくは生きてみようと思った
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