生きテク No.114

かけがえのない母を手にかけ服役。何度も死を考えた私を助けてくれたのは人との繋がりだった。
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■生きテク提供者
名前: 藤河童健さん
性別: 男性
職業: 無職
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■最も自分に過酷だった状況
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29才の11月、私は大切な母を手にかけました。

母は死亡しました。

身も心も疲れ果てていました。

3才の時に両親が離婚し、以来ずっと母子家庭。
更年期障害とウツを抱えた母親との生活、
職を転々とし、行き詰った末の結果でした。

中学3年生までは普通の母子家庭でした。

しかし、高校に進学した頃、
母は失業し更年期障害とウツをかかえ、
その当時から
生活保護を受ける事になりました。

大学進学を志望していたのですが、
支援してくれていた叔父が他界し、
私は専門学校に進学する事になりました。

卒業後、私は写真関係の会社に
営業として就職しました。

これで母を支えられる!と思いました。

しかし私は仕事に対する
自分の力量のなさを強く感じ、仕事の継続を断念。

そこから自信を喪失し、
何をやってもうまく行かない人生に。

29才の時、母との心中を計るも、
母はそれを望みませんでした。


私は自らの命を絶とうと北海道に。

しかし、3日でやめた仕事先から
3日分の給料が銀行に振り込まれていました。

それが飛行機代相当だったので、
再び東京に戻ってきてしまいました。

その後、お金が無いにもかかわらず、
誰にも助けを求められなくて、
家賃、光熱費を滞納。
電話、ガス、電気、その全てが止まった時、
もうおしまいだと思い、
結果、母を手にかけました。

私は死にきれず、
その後、九州の刑務所に服役しました。

■どんなふうに苦しかったか?
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一生、罪を償わないといけない。

どんな辛い事、苦しい事にも耐えねばと思い、
8年間服役。

そして満期で出所。

出所後、数箇所で働いたのですが、
どうしても続かず、
劣等感に苛まれることになりました。

自分には行き場所がない。
自分を許す事もとうていできない。

しかし、自分を許したくて
四国のお遍路めぐりをしようと、
四国まで行きましたが、
お金が必要だったため、断念しました。

もう死ぬ事しか考えられなくなりました。
東京へ戻り、死に場所を求め、
自分の育った街へ。

行き着いたのは河川敷でした。

しかし、死ぬ行為が恐ろしくなり、
2日間、野宿を。


もう、何もかもわからなくなっていました。

■かいけつ!
「これで助かった」という方法は?
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そんな中、
ふと駅の公衆トイレで鏡を見ました。

昼間、河川敷で寝ていたためか、
顔は真っ赤、頬はこけ、
目だけがギラギラしていて、
異形の相をした自分がいました。

これでは街を歩く事も、
コンビニに入る事もできない。


ほかに行くあても無く、
私は近くの警察署に入りました。

相談に乗ってくれました。

その後、区の福祉課、
そして緊急一時保護センターへ。

体の居場所はできたのですが、
心の居場所を取り戻す事はできませんでした。

母を手にかけた11月の某日。
私は「今日死ぬんだ!」
と泣き叫び、錯乱状態になり、
そのまま大きな精神病院に入院
する事になりました。

一度退院。

それなのに人生に対する不安から再度入院。

その時、病院の友人にとても支えられました。

その友人は精神障害を持っているのですが、
とても無邪気で純粋。

どんな状況でも私に話しかけてくれました。
それも、バカ話ばかり。

でも、そんなバカ話が、
どれ程私の心の助けになったことか。

担当の先生、看護士の方々、
区のケースワーカーの方、
病院の患者さん達に支えられ、
私は生きる気力を取り戻しました。

■その後。
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退院した現在、規則正しい生活をして、
あせらず仕事を探すつもりです。

私は身内がいない、
友人、知人にも頼れない自分を、
区の福祉が、こんなにも助けてくれるとは
思いませんでした。

もし、私が母を手にかける前、
福祉に相談していればと思うと、

悔やまれてなりません。

これからは助けられる側から、
助ける側になりたい。

だから自分と似た境遇の人がいたら、
少なくとも福祉へ行って欲しいと伝えたい。

身内、友人、知人には言えなくても、
プライド、意地を捨てて下さい。

福祉課にいる人は、
仕事としてやっているので、
話を聞いてくれます。
酒さえ飲んでいなければ。

福祉課には親切、親身になって
考えてくれる人が多いと思います。

いま、私が生きていられるのは、
沢山の人が関わってくれて、
助けてくれて、支えてくれるから。

というのはもちろんですが、
母との温かい思い出が
あるからでもあります。

そんな母に深く感謝しています。

ありきたりの言葉かもしれませんが、
人はひとりでは生きてゆけない。

人との繋がりが命を支えている、

そう強く実感しています。


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