生きテク No.117

上司に対する怒りの感情を押し込めて、うつ病になるも、家族の支えで乗り越えた!
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■生きテク提供者
名前: 田中元介さん
性別: 男性
職業: その他
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■最も自分に過酷だった状況
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46歳のとき上司の不正を知り、

上司に対して許せないという気持ちと共に怒りを感じていました。

しかし、それをあからさまに表現するわけにもいかず、

自分の中に押しとどめていました。

 

その上司への怒りが頂点に達したある時、

頭に血が上って鼻血が止まらないようになりました。

そのときから、上司のことが頭に浮かぶと鼻血が出るようになりました。

 

その頃から、徐々に仕事への意欲が低下し、

会社での時間が経つのが遅く感じられるようになりました。

そして、半年後にはうつ病かもしれないと自覚しました。

 

おそらく防衛機制(無意識の心の働き)における感情の内向だと思います。

(怒りを外に向かって表現すると差しさわりがあるときに、その怒りが

内に向かって発散すること。うつ病の原因になりやすいと言われている。)

 

医師の診断を受け、抗うつ剤を飲みながら勤務していましたが、

徐々に悪化し40日間入院しました。

そのときは回復したと感じ、医師も出勤を薦めたので

退院の翌日から出勤しましたが、その日に再発しました。

 

またすぐに休むのもはばかられるので

我慢して出勤だけはしていましたがほとんど仕事にならず、

憂うつ、意欲がない、おっくう、いらいら・不安感、頭が働かない、

席にじっと座っているのも辛い、という状況でした。

会社での時間が経つのが遅く感じられてとても辛い毎日でした。

 

そんな状況が1年ほど続き、こんな状態ではどうしようもないと思い再び入院しました。

入院から1ヶ月程したある日の夕方、

急に原因不明の激痛で背中の左側が痛むようになりました。

内科で診察してもらうように言われ、内科で解離性大動脈瘤と診断されました。

酸素吸入のできる病室に移り、

絶対安静のうえ、それまで飲んでいたすべてのうつ病治療薬の服用を中止しました。

 

大動脈瘤の痛みは激しかったものの、

気分は爽快でうつ病の辛さに比べたらむしろ楽でした。

しかし1週間後、抗うつ剤の服薬をやめたからか急激に気分が落ち込み、

死ぬ以外に解決策がないと思いつめるようになり、

具体的な自殺の方法を考え、その道具を購入したり準備をしました。



■どんなふうに苦しかったか?
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入院中は抗うつ剤、抗不安剤、睡眠剤に加えて抗精神病薬を服用しました。

薬の副作用がきつくてじっとしていられずに

他の入院患者さんに謝りながら部屋の中をぐるぐる歩き回っていました。

 

死ぬ以外に解決策がないと思いつめるようになったときは、

考えがすべて行詰り、八方ふさがりになっていました。

 

病気が治らなかったら会社を退職せざるを得なくなり、

退職金では家のローンを全額返済することはできないので

家を手放さざるを得ない。

そうすると妻や母に辛い思いをさせてしまう。

 

また、病気が治っても会社は元のようには扱ってくれず、

辞めるように仕向けられてしまうだろう。

自分は、将来ホームレスになることが避けられない。

 

それよりは今死んで家のローンは保険で返済し、

生命保険も妻の手元に残るようにした方がよいと思い、

死ぬ以外に解決策はないと

思わざるを得ないほど追いつめられた状況でした。



■かいけつ!
「これで助かった」という方法は?
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 うつ病発病までの10年間、人事でメンタル支援の仕事をしたり

メンタルの勉強をしたりもしていました。

自殺を回避できたのは以前勉強した

「うつ病は死にたくなる病気」ということを思い出したからです。

 

思い出したときは、

うつ病は支えてくれる人が必要なんだ

勉強していてもこれほど死にたい気持ちが強く出るのがうつ病なのだから、

と思いました。

 

神戸に住んでいる母が、自分が入院している千葉に、1ヶ月間来てくれました。

そのとき母が「生きててくれるだけでいいわよ」と言ってくれました。

 

また、死ぬ以外にないと思った4ヶ月の入院から退院して

4年弱自宅療養しているときに、

アメリカ在住の姉家族が2年間東京に来ました。

そのとき、毎日のように姉の家に通いました。

姉は僕に何を求めるわけでもなく、

食事に行くときも、うつ状態で考えることがおっくうだった私に

「何を食べたい?」と聞かずに

「何々でいい?」と聞いてくれました。

そんな気配りがとてもありがたかったです。

 

このように他者に支えられながら、退院、自宅療養、出勤、再発を繰り返し、

徐々に、薄皮をむくようによくなりました。

完全によくなったのは発病から15年後でした。



■その後。
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自殺が増えている社会的現状を微力でも何とかしたい。


うつ病の苦しさを他の方になるべく味わってほしくない、

そして苦しいときに支えになってくれる人がいたらという思いから

病支援会あさおというボランティア団体を立ち上げ

現在代表として活動しています。



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