2歳の時、父の仕事の都合でメキシコに渡り、
私は、日本人でありながら、日本を知らずに育ちました。
小学校に入学するとき帰国したのですが、
日本は、私にとって何もかもが初めての国でした。
特に困ったのは、言葉が通じないこと。
ただ言葉が話せないだけなら、まだよかったのだと思います。
日本語がしゃべれない私の周りに、
クラスメートたちは魚の群れのように集まってきました。
そんな状況は、おそらく自然なことであったのでしょう。
少なくとも日本においては・・・。
けれど、海外で育った私にそれは理解できませんでした。
何が起こっているのか分からない私一人が、周囲に取り残されている。
大勢の人間に取り囲まれ、何をされるかわからない不安を感じていました。
ただでさえ日本語が話せない私は、一層委縮してしまい、
貝がかたくなに身を守ろうとするように、周囲を拒絶していったのです。
そんな私は、やんちゃなクラスの男子にとって格好の標的になってしまいました。
気付くと下校途中、クラスの男子から待ち伏せされたり集団でけられたり、
傘で殴られたりしていました。
小学校1、2年の間は、毎日のようにいじめられていました。
助けてくれる人はいませんでした。
「子供=怖い」と怯えていた私は、
子供の姿すら見たくなくて、
足元だけを見て歩いていたら、電柱にぶつかったこともありました。
暴力自体もつらいものでしたが、
それと同様にいつ暴力を受けるのかわからないという
不安を常に抱えていました。
学校を休みたいとも思ったけれど、
下手に休むとさらにいじめられると思ったから休むことすらできませんでした。
毎日続くいじめに対し、子どもながらに絶望を感じて死ぬことを考えました。
死んだらいじめられなくなると思ったけど、けられたりするほうが
死ぬ痛みよりも楽だと思ったから死ぬことはありませんでした。
小学3年生になるとクラス替えがあることを知っていたので、
つらくてもその時がくれば何かが変わると信じ、
ひたすら日々を耐え続けました。
小学3年生になってクラス替えが行われました!
クラスのメンバーがガラッと変わり、
もとのクラスの人は4,5人くらいしかいませんでした。
いじめられる原因が自分の内向的なキャラクターにあると考え、
クラス替えをする前から、
男子と対等に渡り歩いている男勝りな女子の
行動や発言のパターンを分析していたのです。
子供ながらに変わろうとしていた時期だったのだと思います。
そして、いざ待ちに待ったクラス替えを迎えると、
隣の席に座っている男子に「おまえさ~」
と強気に話しかける男勝りな私にかわっていました。
いじめられていたことが嘘のような日々が始まりました。
小学校でいじめられていたのは、今では遠い過去の話。
その後も、苦しいことは何度もあったし、
人生の過酷さもおそらく人一倍体験してきたように感じます。
それでも私は、生きて今ここにいます。
「今のあなたの体験の先に私があるんだよ。」
もしその時の自分に伝えることがあるとすれば、そう伝えたい。
今の私はあの頃の私の贈り物だから。
いただいたいのちだと思ってしっかりと生きていければと思っています。