理解してもらえない「うつ」、工夫して心を回復した
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■生きテク提供者
名前: 名無しさん
性別: 女性
職業: その他
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■最も自分に過酷だった状況
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大学4年生の時、未来が見えず「うつ」になりました。
何をしたら良いか、わからない状態。
大学を卒業しても、その不安は広がるばかり。
精神病を抱えての就職活動に全く自信が持てない状態。
いつしかネガティブな幻聴まで聞こえ、
死にたくなる願望が出てきました。
「うつ」は重くなっていたと思います。
家族は心配性なので相談しにくく、
きっと母に話しても、
「薬を多く飲みなさい」
と言われてしまうだろうな、
と思い、自分の状態を言えませんでした。
■どんなふうに苦しかったか?
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こんな病気も治りそうもない、
家族のお荷物、役立たずの人間なんて
いらないんだろうなと思っていました。
でも、小さい頃からお話を考えることが好きだったので、
小説家にならなれるかもしれないと思い、
辞書を片手に勉強しながら本を読みあさる日々。
そんなある時、姉との会話の途中で
私の言葉使いが少し間違っていたらしく、
「何それ日本語使ってんの?」と
明らかに冷たい嫌みを私にふりかけて来たのです。
「いつか小説家になる」という希望で
心を癒していた私は、
その瞬間、私の小説家になる夢が、
消え去った気がしました。
だれにも理解されない憤り。
私は思わず、リストカットしてしまいました。
母に傷を見せたら、
「どうしてこんなことをするの!!
あんたのしてることは甘えだよ!」と言われました。
私のことを分かってくれていない言葉。
けれども、母の様子から
深い嘆きが伝わってきました。
私はその時に
「もう2度とリストカットはしない」と決めました。
でも、リストカットをしたくなった時、
苦痛を訴えても「病気だから」と、
ただ心配されたり、束縛されるばかり。
やり場のない怒りや悲しみが
常に自分を圧迫していました。
■かいけつ!
「これで助かった」という方法は?
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リストカットができないので、
濃いピンクのペンで、
ムカついただけ自分の腕に線を引いて、
遠目から見てリストカットに見える感じにしました。
そうすると、
少しだけ自分の気持ちも落ち着きます。
母が見て、一瞬気にかけてくれるのも
親の愛を感じられて安心しました。
また、家族に内緒で日帰りの家出?
…のようなものをしました。
新幹線で東北方面に行き、
会いたかった恩師を訪ねたり、
森林に癒されたりしました。
日帰りだったので心配もされませんでした。
■その後。
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緑に触れる事で自分の心が癒されるのを発見したので、
庭で花を育てる事にしました。
「植物は話しかけて育てると、よく育つのですよ」
と聞き、心の中で話しかけながら育てました。
庭で花を育てる事により、家族も喜んでくれて、
人の役に立てる実感が希望に繋がりました。
今は自分が出来る立場で地球の環境に役立つ事をする、
という目標を持っています。
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