生きテク No.62

愛した人には2500万の借金、生まれたばかりの我が子を抱えて
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■生きテク提供者
名前: 名無しさん
性別: 女性
職業: その他
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■最も自分に過酷だった状況
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今から約8年前。
22歳から23歳にかけて、子供を身篭っていた。

だが丁度その時、相手の男性(籍は入れていなかった)には
2500万円の借金があり、
その返済と育児の両方で心身ともに疲れきってしまった。

男性のキャバクラ通いによって作った2500万という借金だが、
本人は銀行員として年収1200万円の稼ぎがあったのにも関わらず、
全8社のカード会社からお金を借りていた為、
28%もの金利の支払いだけでも月々とんでもない額になってしまい、
正にそれは「自転車操業」とでも言った方が良さそうな
先の見えない借金地獄に陥っていた。

そんな多額の借金を抱えていた為に、
出産前も出産後も大した休養を取れぬまま、
仕事に没頭する日々が続いた。


■どんなふうに苦しかったか?
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病院にいる間も他の新米ママや妊婦さんが
とても羨ましく思え、とても惨めだった。
産休も取らずにヤクルトのおばさん業で
毎日6~7時間(1日150件周る)ひたすら働いていたが、
それでも月収は僅か10万円程度で、
それすらも家賃や光熱費でほとんどが消えていった。

家に帰れば今度は育児という大きな仕事が待っているわけで、
自分のプライベートな時間など皆無に等しかった。

それでも児童扶養手当でなんとか子供の面倒は見れていたが、
苦しい生活には変わりはなかった。

親からは相手の男性との付き合いを反対されていたのだが、
それを押し切って交際・妊娠したので、実家に頼るわけにもいかない。

逃げ場も無く、休める時間も無く、借金返済の目処も立たず、
希望など何処にも無く、相手の男とも徐々にすれ違うようになり、
それが更なる淋しさを生み、
「生きていても意味が無い」と次第に思い始める様になった。

そんな毎日にとうとう耐え切れなくなり、
自分でも己の精神状態をセーブできなくなり始める。

しかし授乳期間だった為、
病院に行って薬を処方してもらったり、酒に走ったりするという、
そんな選択肢すらも私には与えられなかった。

その結果、徐々に奇行が増えていくことに。
例えば、子供と一緒に死のうと決め、
2月の寒空の下を1時間以上も歩き続け、
たまたま入った神社で水浴びをしたり。

他にも、深夜に片っ端から知らない人に電話をし、
「今から死のうと考えている」などと赤の他人に話したりと、
明らかに自分自身が狂い始めていた。


■かいけつ!
「これで助かった」という方法は?
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そんな風にして自殺予告をする電話を
見知らぬ他人にかけるなどの奇行を繰り返していたのだが、
たまたま電話をかけた先の人が
真摯に気持ちを受け止めてくれ、
2時間近くも話に付き合ってくれたのだ。


「子供が成長したら、将来も変わるよ」と諭され、
ようやく「もうちょっとだけ頑張ってみようかな」と思い始め、
その時は死ぬのを留まった。

ちゃんとしたママ友もおらず、
昔からの友達にも相談できず、
誰にも家庭の事情を話せずにいた。

その電話の相手は初めて自分が
心から全てを話せた人だったと思う。

顔の見えない相手、知らない相手だからこそ、
普段は話せないこともすらすらと語れるのだろう。

そして本当は私は死にたくなかったのだということに気付いた。

■その後。
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授乳期間が過ぎ、ようやく子供を保育園に預けられる様になり、
時間にゆとりが出来た。
ヤクルトの仕事も辞め、
法律事務所に事務の仕事で働くことにした。

ヤクルトを配る仕事と違い、
デスクワークだったこともあり肉体的な負担が減り、
子供を預けたことで自分の時間を持つことも出来た。

次第に借金返済の目処も立ち、相手の男性との仲も良くなり始め、
プライベートにやっと余裕が出てきた。

そして先の見えない暗闇から解放され、
将来へ希望を見出すことが出来るようになり、今に至る。


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