生きテク No.87

夫のDVからPTSDになり、生きた心地がしなかった数年間を超えて
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■生きテク提供者
名前: M&M
性別: 女性
職業: 主婦
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■最も自分に過酷だった状況
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今から15年ほど前、
結婚して10年目のあたりから主人のDVが始まりました。

キッカケは公私共に主人の思い通りにならない状況が続き、
イライラすることが重なった結果だと思います。

初めは言葉の暴力だけでしたが、
次第に壁や家具を殴る、茶碗を投げるなど物を使って威嚇し、
最後は直接私に危害を加えるようになりました。


普段は穏やかな人なのに、食事中や普段の会話の途中で
何か気に食わないと突然怒り出すようになりました。


キレると別人のようになって
当時小学校低学年だった息子たちの前でも私に手を上げるので、いつもビクビク怯えていました。


そのうち私は、主人が帰ってくる時間が近づくと
腹痛や頭痛が始まり、
体調が悪くなって寝込みがちになりました。



何もする気力が無くなり、
だるくてとても起きていられなくなるのですが、
私が寝込んでいると、主人は
「仮病だろう」「主婦の仕事をちゃんとしろ」と怒るので、
体調の悪化と夫の不機嫌という、悪循環
に陥っていました。


■どんなふうに苦しかったか?
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暴力を受けたときの物理的な痛みだけでなく、
些細なことで突然凶暴化する主人が怖くて、
精神的に始終怯えている
ことがとても辛かったです。


「生きた心地がしない」という言葉がピッタリで、
身体は生きているけれど心は死んでいる、という感じの毎日でした。


主人からいきなり腕に熱いコーヒーをかけられた後には、
その熱さと恐怖がいつまでも記憶に残り、
炊事の時に手にお湯がかかると
胸が苦しくなるような恐怖を感じるようになって、
その後何年も洗い物をするのが苦痛でたまりませんでした。
(PTSDの症状です)

そのうち味覚障害、円形脱毛、離人症にもなってしまいました。


特に味覚障害は何を食べても
ゴムを噛んでいるようで全く味がしないので

料理の味見をすることが出来ず、
勘を頼りに家族の食事を作っていました。

食べ物を味わえないというのは、
食べることが大好きな自分にとってはとても辛かったです。


会社役員をしていた主人の
社会的名誉を傷つけてはいけないという思いもあり、
「自分さえガマンすれば…」と、
周囲の人には相談しなかったので、
実家の両親も私が暴力を受けていることは全く知らず、
孤立無援の状態でした。



暴力を受けていた割には目立った外傷は無かったので、
対外的には平然と過ごしていましたが、
主人の気に障るといけないので思ったことを素直に口に出して言えない、
自分の考えを表に出すことが出来ない

という状態は窒息しそうで、
自分自身に喜びが無く、
生きている意味を感じられない日々は、
とても虚しいものでした。


主人の暴力は私だけに向けられ、
子ども達に手を上げなかったのは幸いですが、
家の中で父親が母親を殴るのを目にする
子ども達の心を想うと、
情けない気持ちで一杯でした。


自分など存在する価値が無い、
消えてしまいたい、死んでしまいたい、という想いは常にありましたが、
子どもへの責任感から、
「とにかく下の子が小学校を卒業するまではお母さん役を頑張ろう」
期限付きで母や妻という任務を遂行する覚悟を決めて、
何とか毎日を過ごしていました。


■かいけつ!
「これで助かった」という方法は?
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3つのことをきっかけに立ち直ることができました。

1つ目は、ボランティアを始めたこと。
家の近くで特別養護老人ホームのボランティア募集の貼り紙を見つけ、
「こんな自分でも何か役に立つことがあるかもしれない」と、
思い切って応募し、ボランティア活動を始めました。


老人ホームで洗濯した布おむつを畳んだり、
ホームのイベントのバスハイクのときには車椅子を押したり、
近隣の一人暮らしの老人に給食を届けたり…。


給食配達当番は週に一度の担当でしたが、
皆さんとても喜んでくれましたし、とても感謝されました。



「いつも来てくれるのを楽しみに待っているのよ」
と言葉をかけて頂き、
感謝され、役立っている自分をしみじみと実感しました。


バスハイクのときに、一人では歩けないご老人方が
「久しぶりに外の景色が見れた!」「外出できて嬉しい!」
と車椅子で喜んでいる姿を見て、
「自分は五体満足で歩けるのに、
家で寝込んでいる場合ではない」と
思えるようにもなりました。



2つ目は、共通の趣味を持つ友人ができたこと。

好きだった音楽バンドのファンクラブに入り、
そこの会報で「文通友達募集」の広告を見つけました。


息が詰まる毎日の中、共通の話題が持てる友達が欲しいと思ったので、返事が来るかしら?とドキドキしながら手紙を送り、
1人の女性と文通を始めたところ、
その人は、北海道から沖縄まで日本中に100人近くの文通友達がいたので、その女性を介して私にも日本全国に大勢の文通友達が出来ました。


当時はまだパソコンを持っていなかったので、アナログの郵便でしたが、「今度のコンサート、どんな格好で行く?」そんな他愛もない手紙を地方の友人達とやりとりして楽しむことができました。

日常と完全に離れたところで
共通の趣味を持つ友人ができ、
純粋に楽しむためだけの時間

持てるようになったことで心が和み、
家庭内でのストレスを発散することができたと思います。


3つ目は、カウンセラーの資格をとったこと。

DVとPTSDで鬱状態になっている自分を何とかしなければ、
という思いから、
カウンセリングにかかりたいと思いましたが、
専業主婦の自分には自由に使えるお金がないので
受けることが出来ませんでした。


「自分で自分を救うしかない」
という考えから、
セルフヘルプの本などを読んでいるうちに、
「カウンセラーになる勉強をしたい」
と思うようになりました。


ちょうどその頃、
区が主催する「カウンセラー養成講座」があることを知り、
受講資格である
「区内の老人ホームなどでボランティア活動を行っている人」
という条件を満たしていたので応募してみた
ところ、
運良く抽選に当たり、
区の資金援助を受けてカウンセラー養成講座に通うことになりました。


心理カウンセラーとして研修を受ける中で、
色々な人の悩みを聞きながら、
自分自身にもたくさんの気付きを得ることが出来ましたし、
自立するキッカケにもなりました。



カウンセラーとして最初のクライアントは主人でした。

主人の機嫌が良い時を見計らって、根気良く対話を続けました。


「俺は悪くない」「悪いのはお前だ!」と
言い張っていた主人が、
ある時、自らの過ちに気が付き
暴力をふるったことことを三日間泣き通して謝り、
子ども達にも謝罪をしてくれた
ので、
私は心から救われた想いでした。


そこから主人の暴力そのものは収まりましたが、
私の中の恐怖体験のフラッシュバックはすぐには消えず、
怖い夢を見たり不眠が続きました。

今まで暴力を受けていた現場である自宅に居続けることが辛かったので、
しばらく一人でゆっくりと心の傷を癒したいと思い、
「しばらく別居させてほしい」と申し出て、家を出ました。


その後、大勢の人の助けを借りて
少しづつ自分の心を落ち着けることが出来ました。


別居中に主人から離婚調停の申し入れがあったので結局は協議離婚しましたが、
今では貴重な体験と良い勉強をさせてもらった、
と感謝しています。


■その後。
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私は結婚前は実の父親から、
結婚してからは主人から暴力を受けましたが、
そのお陰で人間の心理や人格と生育環境について
深く考察する機会に恵まれ、忍耐力もつきました。

自分の体験を踏まえ、
DVに限らず辛い立場に居る方の力になりたい、
人生の闇の中に光を見出すお手伝いをしたい、
と考えております。


カウンセラーの仕事を続けながら
「幸せに生きる」というテーマに向き合い、
自分自身が平和な心で「自分らしく幸せに生きる」ことを
実践していきたいと思います。


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