陰湿ないじめ、先生もみんなも、自分も大嫌い。でも・・・
生きテク提供者
最も自分に過酷だった状況
幼稚園くらいの頃から、親は仲が悪く、父は浮気を繰り返し
母を愛してはいなかった。いつもケンカばかりしている両親を見て、なんでこんな環境で生まれてしまったのだろうと常に思っていた。
小学校1年生の頃、クラスの中心になるような女の子から嫌われ、
のけものにされた。クラスと言っても、田舎の学校なのでクラスの女子は9人しかいないような所だった。
一度嫌われるとクラス全員の女子からのけものにされたりすることがあり、その中心になる子に嫌われないように、その子に嫌われないように言われる事は何でもした。
「今度はあいついじめよう」と言われると他の子をいじめたりしたし、「自分と同じゲームソフトを買うな」と言われ、買っている事がバレるとみんなグルになっていじめられたり罵られたりするので、その通りにした。
そんな状態だったが、小4の時にボスの女の子からはみんな離れたが、小さいコミュニティで一度はいじめ合った友達なので、親友と呼べる子とも関係が出来ていなく、みんなギクシャクした関係が続いた。
中学校に入ったら、3つの学校が統合されて17人になったが、
みんな大嫌いだった。いつも誰かが誰かの悪口を裏では言っていた。
中2の頃から、「死にたい」と強く思うようになっていた。
先生も大嫌いだった。
嫌な事をしていた相手に「○○死ね」と落書きをしたら、先生にすごく自分の事だけ怒られ、自分に嫌な事をした相手もそういう事をしているのに自分にだけ激しく怒って、その先生も大嫌いだった。
先生は、怒るポイントは世間体だけで、自分たちの事を思って言っていないことが
にじみ出るようにわかった。どの先生も大嫌いだった。
今まで死にたいと思っていたのに、中3あたりから突然死ぬのが怖くなった。
朝起きたらおじいちゃんが眠ったまま死んでいて、
自分も朝起きたら死んでるかもしれない、と思った。
母と当時つき合っていた彼氏の事は信じていたが、
彼氏との失恋や、度重なる人間不信が爆発し、高校の入学式の次の日から学校に行かなくなった。
不登校になると友達もみんないなくなった。
誰一人として自分を認めてくれる人はいない、誰一人として自分を必要としてくれる人はいない。
死にたいと考えすぎて、頭が真っ白になった。
完全に学校にいけなくなり、毎日引きこもって昼夜逆転していた。
夜は自殺の方法をネットで探したりしていた。
その中からいくつかの方法を試してみようとも試みた。
家に帰ると家を破壊した。ガラスを割ったり、妹を殴ったりした。
包丁も持ち出し、泣き叫んだ。
どんなふうに苦しかったか?
いつも自分を押し殺していた。
周りの人は誰も信じられない。自分の事も信じられない。
人の事が大嫌い。でも自分が一番嫌い。
そんな状態に陥っていた。
「なんで生きているのか」「自分には価値がない」
「自分が死んでも誰も悲しまないんじゃないか」と思うようになっていた。
母親は大好きだったが、「なんで私なんて生んだんだ」とひどい事も
言った。自分を止められなかった。
かいけつ!「これで助かった」という方法は?
高校の担任の先生から、毎日電話がかかってきた。
「今日は何してたの?少しでもいいから学校おいで」と言ってくれた。
今思えば、泣きまくって勝手に電話切ったり、
すごい失礼な事もいっぱいしたと思う。
たまに家にも来てくれた。学校のプリントを持って来てくれただけだったり、
「今日こんな事あったよー」と話してくれたり、そんな長い時間ではなかったが。
後で母に聞くと、母と担任の先生が毎日連絡を取り合い、サポートしてくれていたらしい。
数ヶ月そんな日が続き、この先生、他のうわべだけの大人と何か違うな、と思い始めていた。
自分でも外に出たいという思いも出て来ていた。このままじゃいけない、どうにかしたい。そう思ってきていた。
高校に入ってから母とは離れて暮らしていたが、高校近くの自分の住んでいる祖母の家まで1時間半かけて毎日会いに来てくれていた。
ある日、「学校に行ってみよう」と思った。
当然心配してたし、おどおどしていたと思うが、先生が「こういう事で苦しんでいる子がいるから、みんな話しかけてあげて」と言ってくれていたらしく、
学校に行くとみんな温かく話しかけてくれた。
ほとんどみんな新しい子だったので、クラスの子は誰も知らなかったが、
新しい友達も出来て、学校には通うようになった。
それでも行かない日もあったが、そんな日は連絡をくれた。
まだ死にたい死にたいと泣き叫ぶ日も続いたし、つらい日もあったが、
母や先生やまわりが支えてくれていたと今になっては思う。
その後。苦境を乗り越えた今、これから何をしたい?
今は、横浜の大学に進学し、だいぶコントロール出来るようになったが、
今でもたまに苦しい時もある。
まだ人も自分も信じることができず、好きになることもできていない。
しかし、これからは、苦しんでいる人たちを支える活動なども
しながら、前向きに生きて行こうと思う。
今でも毎日母親には電話している。
この生きテクを読んで、死ぬのをやめよう、もしくは生きてみようと思った
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