逃げ場のないいじめを経て、他人も自分も信じられなくなり…
生きテク提供者
最も自分に過酷だった状況
小学校1年生のときから、両親の勧めである個人競技をやっていた。
そしてある程度上達した頃、小学校3年生の終盤に両親のはからいで全国大会常連の強豪クラブに移籍することになった。
ところが、移籍初日にクラブの同学年で一番強く、かつリーダー格だった子を試合で破ってしまったことから嫌われ孤立し、いじめに発展していった。
クラブの練習は週に4日あり、1日4時間だった。
その中で無視やバイ菌扱いをされ、目が大きく鼻が低い容姿をからかって「エイリアン」というあだ名を付けられた。
私が触った物は全て「腐った」と言われ、視界に入れば「目が腐る」と言われ、何かすれば「キモい」と囁かれ、何をしても悪い方へ解釈され、常に嘲笑の的だった。
練習中の試合での差別や結果の改ざんは日常茶飯事で、試合に勝てば更に酷く罵られた。近づけば避けられ、私が触ったものは誰も触ろうとしなかった。
学年が上がるにつれ状況は悪化し、高学年から低学年まで、クラブの全員から人間扱いをされないようになった。そのクラブで泊りがけの遠征にも行ったが、当然悪い思い出しかない。
幸いにも小学校では楽しく過ごしていたので、生きる支えにすることができた。
両親はその競技で私に期待しており、公式戦で勝てばご褒美を貰ったりしていた。
両親の頭にはその競技のことしかなく、クラブ以外にも毎日他の練習に行っていた。やりたいこともできず、遊ぶ時間がなかった。
特に父は大会成績が良ければ私を褒めて外食へ連れて行き、大会成績が悪かったり少しでも練習に行きたくない素振りを見せれば私を叱り、時には手を出すような人だった。
とうとう精神の限界を感じ、両親に思い切ってクラブでのいじめのことを打ち明けると、「クラブへは遊びに行っているのではないのだから、それは辞める理由にはならない」と突っぱねられてしまった。
その後何度か勇気を振り絞って反抗した結果、6年生も終わりの頃に中学校でも競技を続けることを約束にクラブを辞めることができたが、父には「逃げた」と言われ続けた。
クラブを辞めて穏やかな日々が続き、これで苦しみから解放されたと思いきや、中学校に進学した私はすっかり人間が怖くなってしまっていた。何かおかしなことをすればあの恐ろしいいじめが始まるかも知れないと思うと、毎日が綱渡りのようだった。
一歩踏み外せば、いじめという奈落が待っている。それまでの明るかった性格が180度変わり、何をするにも恐怖を感じていた。
もう道具を見るのもプレーをするのも辛かったが、約束でもあったし両親に逆らえず、部活動で競技を続けることになった。
競技を辞めたいと言うと、「今まで教えてくれたコーチや監督を裏切るのか。そんなのは人間のすることじゃない」ととことん怒られた。
誰も信頼できず、肉親にさえ本音を打ち明けることができなくなった。
高校へ進学すれば何かが好転するだろうと思い、努力の末に市内では入るのが難しいと言われる高校に入学したが、最初のクラスにクラブで私をいじめていた人が2人もいた。
偶然を呪い、今度こそ終わりだと思った。
どんなふうに苦しかったか?
いじめが始まった当時、小学校では学級委員を務めることがあるほどの人気者で友達が多く、小学校とクラブとの自分の立場のギャップに苦しんだ。
辛い環境のうえ厳しい練習でクラブに行くことは怖かったが、それよりも競技を辞めれば両親から愛されなくなってしまうのではないかという恐怖心の方が強かった。
それまで大好きだった自分の大きな目がコンプレックスになり、自分の何もかもが嫌いになった。
「エイリアン」と呼ばれ人間扱いをされないうちに、自分はもしかすると本当に人間ではないのではないかと思うようになり、風呂場の剃刀で太ももを斬りつけ、赤い血が出ると「ああ、私は人間だ」と安心した。今思えば、その当時の自分は異常だった。
両親にクラブでのいじめのことを打ち明けても相手にされなかったことから、「守ってくれる人はどこにもいない。誰も助けてはくれない」と絶望した。
両親からの助けを得られなかったことは、いじめられることよりも辛く悲しいことだった。それ以来、誰かに悩みを話すことが怖くなった。
中学時代は毎日不安と恐怖に苛まれ、人の笑い声、囁く声を聞くとたちまち背中は汗でびっしょりになり、動悸がおさまらなかった。
一生こんな状態で過ごすのかと思い、自宅マンションの10階に上がって地面を見下ろし、そこから飛び降りることばかり考えていた。
かいけつ!「これで助かった」という方法は?
このままではいけないと思い、とにかく勉強を頑張ってみた。
そのかいあって目指していた高校に入ることができたが、そこには上述のようにいじめのあったクラブの人が2人もいた。
そこで更に勉強に打ち込んで成績上位に入った。
他にも運動や小さな頃から得意だった絵など多方面で努力を重ねた結果、友達が増え、人に頼られることが多くなった。すると自分に自信がつき、いつの間にか昔クラブでいじめてきた人達のことが怖くなくなっていた。
そのうち学年が上がってクラス替えもあり、ついにクラブの人の陰に怯える日々から抜け出すことができた。両親には勉強面で認めてもらうことができた。
努力する過程は決して楽ではなかったし、少し時間はかかったが、いじめで性格を変えられた自分から元の明るい自分に戻ることができた。人生を好転させる力は自分の中にあり、自分次第でどうにでもなるのだと感じた。
また、高校に入っても競技は続けていたが、高校の部活動で思いがけず素敵な仲間と出会った。部活に居場所ができ、いつの間にか部活へ行くのが楽しくなっていた。
大嫌いだった競技が、そこに仲間がいるというだけで不思議と楽しいものへと変わっていった。
周りの反応に怯えびくびくしながら過ごしていた綱渡りのような日々は、そんな高校生活を経て遠く過去のことになった。
その後。苦境を乗り越えた今、これから何をしたい?
今でもいじめられていた時のことを思い出すと悲しく不安になり、泣いてしまうことがあるが、私には揺るぎない自信がある。そして、辛かった時に耐え忍んだ自分を褒めてあげることができるし、誇りに思う。
ただ剃刀で太ももを斬りつけていた事に関してだけは、痕が残ったせいでプールにも温泉にも行きづらくなり、とても後悔している。
現在はなりたい職業があり、その夢に向かって努力を重ねている。
将来仕事に就いて生活が安定したら、いじめやその後遺症に苦しんでいる人の力になる活動をしたい。
これから生きていく中でまたどん底に陥ることがあるかも知れないが、いずれも乗り越えてみせようと思う。
いじめの記憶を消すことはできないが、いじめられていた事なんて「今」には全く関係ない!私には力があり、可能性があり、どこかに魅力があると信じている。これからは常に前を向き、いじめの過去に縛られない生き方をしていきたい。
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