先生に助けてもらえず、クラス中のストレス発散の標的に
生きテク提供者
名前: 名無しさん
性別: 男性
最も自分に過酷だった状況
小学校高学年から中学の3年間、
元々喧嘩が苦手ですぐ泣く方だったので、
クラス内でいじめを受けている人たちからさえも、
ストレス発散の的にされていた感じでした。
中学2年生の終わりから3年生の始まり頃まで、
ちょうど入院した事もあり、
新しいクラスにも馴染めず、
より萎縮していたのも、
いじめが続いた原因かと思います。
元々喧嘩が苦手ですぐ泣く方だったので、
クラス内でいじめを受けている人たちからさえも、
ストレス発散の的にされていた感じでした。
中学2年生の終わりから3年生の始まり頃まで、
ちょうど入院した事もあり、
新しいクラスにも馴染めず、
より萎縮していたのも、
いじめが続いた原因かと思います。
どんなふうに苦しかったか?
担任からは「女々しい」とのレッテル。
クラスメイトからは、いつしか「オカマ」と呼ばれる様に。
…子供だったので、
初めてその言葉の意味を知った時は、
かなりのショックがありました。
両親も仕事で忙しく、極度の人間不信になり、
絶えずビクついていた思春期でした。
クラスメイトからは、いつしか「オカマ」と呼ばれる様に。
…子供だったので、
初めてその言葉の意味を知った時は、
かなりのショックがありました。
両親も仕事で忙しく、極度の人間不信になり、
絶えずビクついていた思春期でした。
かいけつ!「これで助かった」という方法は?
自分に出来ることと言えば
仮病を使ってでも休んだり、早退を繰り返したり。
当時「登校拒否」というものに
相当風当たりが強く、
とても肩身の狭い思いをしたけれど、
本当にそれしか、できることがありませんでした。
そんな日々を過ごしながら、なんとか中学を卒業。
いじめの影響もあり、
既に気力は相当失われていましたが、
それでも高校だけは行っておかなければと
仮病を使ってでも休んだり、早退を繰り返したり。
当時「登校拒否」というものに
相当風当たりが強く、
とても肩身の狭い思いをしたけれど、
本当にそれしか、できることがありませんでした。
そんな日々を過ごしながら、なんとか中学を卒業。
いじめの影響もあり、
既に気力は相当失われていましたが、
それでも高校だけは行っておかなければと
その後。苦境を乗り越えた今、これから何をしたい?
正直、人を信じる事は出来ても、
心のどこかで距離を置いてしまう性分はまだ抜け切りません。
それをもう少し何とかし、
愛し愛される関係を築ける自分になりたい。
それと「笑い…笑える気持ち(心のゆとり)」を大切にしています。
心のどこかで距離を置いてしまう性分はまだ抜け切りません。
それをもう少し何とかし、
愛し愛される関係を築ける自分になりたい。
それと「笑い…笑える気持ち(心のゆとり)」を大切にしています。
この生きテクを読んで、死ぬのをやめよう、もしくは生きてみようと思った
この記事を読んで自殺をやめた人
74 人
この生きテクのライセンス
生きテクに掲載している記事・写真・イラストなどの著作物は、株式会社Posi-mediaが所有し、日本の著作権法及びベルヌ条約などの国際条約により、著作権の保護を受けています。
無断で複製、公衆送信、翻案、配布等の利用をすることを禁止します。
無断で複製、公衆送信、翻案、配布等の利用をすることを禁止します。