借金の取立てで、1人の人間を死に追いやってしまい…
生きテク提供者
名前: 名無しさん
性別: 男性
職業: その他
最も自分に過酷だった状況
23才頃、家庭の事情により、地元で就職することとなり、
不本意ながら金融機関に就職したが、
よりによって借金の取立ての担当として
配属されてしまった。
そこで社会、お金の流れの闇の部分を
まざまざと見せつけられた。
ある日、自分が直接関わった人が自殺するという
ショッキングな出来事が起こった。
その時、資本主義社会では、犠牲者が出ても
人間的な感情を捨てねばやってゆけないと
痛烈に感じた。
不本意ながら金融機関に就職したが、
よりによって借金の取立ての担当として
配属されてしまった。
そこで社会、お金の流れの闇の部分を
まざまざと見せつけられた。
ある日、自分が直接関わった人が自殺するという
ショッキングな出来事が起こった。
その時、資本主義社会では、犠牲者が出ても
人間的な感情を捨てねばやってゆけないと
痛烈に感じた。
どんなふうに苦しかったか?
自分の仕事は人を死に追いやっているという
罪悪感に苛まれ続けた。
就寝3時間後、
突然、遊園地のコーヒーカップに
乗った後のような感覚に襲われ目が覚めて、
吐く事が重なり、医者に行った。
しかし異常なしと診断され、
納得できず心療内科に足を運んだ。
するとはっきり「うつ病」と診断され、
薬も三種類処方された。薬の量は徐々に増えていき、
仕事への不安から8月末に退職。
9月、10月は最悪の精神状態だった。
仕事を辞めても、ますます苦しくなる一方だった。
自分は生きていても意味が無いのではないかと感じるようになり、
ここで終わっても悔いは無いなどと考えていた。
罪悪感に苛まれ続けた。
就寝3時間後、
突然、遊園地のコーヒーカップに
乗った後のような感覚に襲われ目が覚めて、
吐く事が重なり、医者に行った。
しかし異常なしと診断され、
納得できず心療内科に足を運んだ。
するとはっきり「うつ病」と診断され、
薬も三種類処方された。薬の量は徐々に増えていき、
仕事への不安から8月末に退職。
9月、10月は最悪の精神状態だった。
仕事を辞めても、ますます苦しくなる一方だった。
自分は生きていても意味が無いのではないかと感じるようになり、
ここで終わっても悔いは無いなどと考えていた。
かいけつ!「これで助かった」という方法は?
かなり生きていく事に限界を感じていたときに
心配してくれていた大学の先輩から
地域興し、町興しのイヴェントがあるが、
参加しないかというお誘いがあった。
現状の危機感を何とかしたいという想いを、
そのイヴェントに賭けてみることにした。
地域興しのイヴェントが行われたのは、
島根県の隠岐島、海士(あま)町。
そこで得たものは自分にとって言葉に尽くしがたいものだった。
島の人達から優しさ、暖かさをこれでもかというほど、
与えてもらえた。自分が存在している、
その事だけを喜んでくれる。
何も求めてこないほど嬉しい事はなかった。
10月、11月、12月と3回島に通った。
地元に帰っていた時のことを思い出せないほど、
島が楽しかった。
年が明けて程なく、自分がやりたい事が明確になった。
自分は幼い時から遠い親戚筋にあたるおじさんから、
週2回、食に関する手ほどきを受けていて、
美味しいものが人を幸せにすると思っていた。
自分が出来ることは、大好きな料理であると、
気付いたと同時期に薬にも頼らなくなった。
心配してくれていた大学の先輩から
地域興し、町興しのイヴェントがあるが、
参加しないかというお誘いがあった。
現状の危機感を何とかしたいという想いを、
そのイヴェントに賭けてみることにした。
地域興しのイヴェントが行われたのは、
島根県の隠岐島、海士(あま)町。
そこで得たものは自分にとって言葉に尽くしがたいものだった。
島の人達から優しさ、暖かさをこれでもかというほど、
与えてもらえた。自分が存在している、
その事だけを喜んでくれる。
何も求めてこないほど嬉しい事はなかった。
10月、11月、12月と3回島に通った。
地元に帰っていた時のことを思い出せないほど、
島が楽しかった。
年が明けて程なく、自分がやりたい事が明確になった。
自分は幼い時から遠い親戚筋にあたるおじさんから、
週2回、食に関する手ほどきを受けていて、
美味しいものが人を幸せにすると思っていた。
自分が出来ることは、大好きな料理であると、
気付いたと同時期に薬にも頼らなくなった。
その後。苦境を乗り越えた今、これから何をしたい?
結果的にフードコーディネーターという職を自分は選択した。
食の魅力を伝える仕事である。
フードコーディネーターとして世の中を、日本を変えて行きたいと
前向きに考えられるようになった。
それも全ては島の人々の温かさに触れられたことに起因する。
あの島に行ったら、きっと生きる力が沸いて来るはず。
自分のうつは、そこでなくなったのだから。
食の魅力を伝える仕事である。
フードコーディネーターとして世の中を、日本を変えて行きたいと
前向きに考えられるようになった。
それも全ては島の人々の温かさに触れられたことに起因する。
あの島に行ったら、きっと生きる力が沸いて来るはず。
自分のうつは、そこでなくなったのだから。
この生きテクを読んで、死ぬのをやめよう、もしくは生きてみようと思った
参考文献・資料
隠岐國海士町
http://www.oki-ama.net/
海士町へのアクセスや電話番号(お店紹介)
http://www.oki-ama.net/asobu/top2/index.html
※生きテクサイトは、内容に関して推奨するものではなく、 「これ
http://www.oki-ama.net/
海士町へのアクセスや電話番号(お店紹介)
http://www.oki-ama.net/asobu/top2/index.html
※生きテクサイトは、内容に関して推奨するものではなく、 「これ
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この記事に対するコメント
日本蛸大学より:
2017年06月04日 19:35:33
ありがとうございます
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無断で複製、公衆送信、翻案、配布等の利用をすることを禁止します。
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