生後5ヶ月で「重度障害児」と告知。 別人のような顔の娘を抱え、死のうと思ったが…
生きテク提供者
名前: のんちゃんの心の声
性別: 女性
職業: 主婦
最も自分に過酷だった状況
次女みのりを出産した時、
「外出したいから」という医者の勝手な都合で
無理に出産させられ、
産後は母子ともに危険な状態だったにも関わらず、
医者は何の処置もせずに出かけてしまいました。
(後からわかった話ですが、そこは
医者の時間の都合で心音や羊水の検査もせずに
出産させるなど、ひどい病院だったのです)
肺に羊水などを吸い込んだままで呼吸困難になり、
みのりは病院に運ばれました。
運ばれる直前に見た娘は、
胸の辺りがボコボコになっていてとても苦しそうで、
一刻を争う危険な状態でした。
病院に運ばれるまでに6時間以上も経っていましたが、
幸いにも心停止はせず、命は取り留めました。
MRIなど検査をしてみると、
最初は「異常なし」という結果が出ました。
しかし、長時間にわたる低酸素状態で
脳に酸素がいかなかったため、
脳細胞が徐々に壊死していっていたのです。
生後2?3ヶ月経った頃、ミルクの飲みが悪くなり、
眼がボーッとするようになりました。
4ヶ月で入院することになり、
5ヶ月のMRIの検査の結果で「重度障害児」と
告知されました。
「原因不明の病気で、今の医学では治せません。
このままでは身体が動かなくなってしまうので、
リハビリを始めてください」
そう言われ、
いきなり重度障害児のリハビリセンターのパンフレットを渡されました。
「外出したいから」という医者の勝手な都合で
無理に出産させられ、
産後は母子ともに危険な状態だったにも関わらず、
医者は何の処置もせずに出かけてしまいました。
(後からわかった話ですが、そこは
医者の時間の都合で心音や羊水の検査もせずに
出産させるなど、ひどい病院だったのです)
肺に羊水などを吸い込んだままで呼吸困難になり、
みのりは病院に運ばれました。
運ばれる直前に見た娘は、
胸の辺りがボコボコになっていてとても苦しそうで、
一刻を争う危険な状態でした。
病院に運ばれるまでに6時間以上も経っていましたが、
幸いにも心停止はせず、命は取り留めました。
MRIなど検査をしてみると、
最初は「異常なし」という結果が出ました。
しかし、長時間にわたる低酸素状態で
脳に酸素がいかなかったため、
脳細胞が徐々に壊死していっていたのです。
生後2?3ヶ月経った頃、ミルクの飲みが悪くなり、
眼がボーッとするようになりました。
4ヶ月で入院することになり、
5ヶ月のMRIの検査の結果で「重度障害児」と
告知されました。
「原因不明の病気で、今の医学では治せません。
このままでは身体が動かなくなってしまうので、
リハビリを始めてください」
そう言われ、
いきなり重度障害児のリハビリセンターのパンフレットを渡されました。
どんなふうに苦しかったか?
「重度障害児」と言われたことのショックで
頭がガンガンして嘔吐を繰り返し、
眠れない日々が続きました。
1歩も外に出たくないのに、長女がいたので、
朝は保育園のバス停まで平然を装って歩きました。
10分間の道のりで、近所の方に会うのが辛かった。
外から家に帰って来た瞬間に涙が出るほど、
平然を装っているのが苦しかったです。
みのりは生まれた時、
クリッとした眼のかわいい赤ちゃんだったのに、
斜視になり、顔も別人のようになってしまいました。
「絶望」って、こういうことを言うんだと思いました。
リハビリセンターに入所しましたが、
1年経っても首がまったく座りません。
いいと言われるものはすべて試しましたが、
回復の兆しがまったく見えませんでした。
その上、1歳半になる頃、食べ物を噛むことができないため、
「口からの普通食は食べられない」という告知を受けました。
「ものを食べることすらできない…」
あまりのショックに、私は鬱状態になりました。
薬を飲むようになり、副作用で20kg太りました。
風呂においてある主人のカミソリで、何度自分を傷つけようと思ったことか…
「みのりと一緒に自分も死のう」と思ったけれど、
長女を残していけない。
かろうじて思いとどまりました。
頭がガンガンして嘔吐を繰り返し、
眠れない日々が続きました。
1歩も外に出たくないのに、長女がいたので、
朝は保育園のバス停まで平然を装って歩きました。
10分間の道のりで、近所の方に会うのが辛かった。
外から家に帰って来た瞬間に涙が出るほど、
平然を装っているのが苦しかったです。
みのりは生まれた時、
クリッとした眼のかわいい赤ちゃんだったのに、
斜視になり、顔も別人のようになってしまいました。
「絶望」って、こういうことを言うんだと思いました。
リハビリセンターに入所しましたが、
1年経っても首がまったく座りません。
いいと言われるものはすべて試しましたが、
回復の兆しがまったく見えませんでした。
その上、1歳半になる頃、食べ物を噛むことができないため、
「口からの普通食は食べられない」という告知を受けました。
「ものを食べることすらできない…」
あまりのショックに、私は鬱状態になりました。
薬を飲むようになり、副作用で20kg太りました。
風呂においてある主人のカミソリで、何度自分を傷つけようと思ったことか…
「みのりと一緒に自分も死のう」と思ったけれど、
長女を残していけない。
かろうじて思いとどまりました。
かいけつ!「これで助かった」という方法は?
私には、励ましてくれる家族、友人、障害児のお母さん方がいました。
人生の師匠と呼ぶべき方がおっしゃった
「絶望は希望に、不可能は可能にできる」という言葉に勇気づけられました。
また、市内の「ゆりかご園」というリハビリセンターの
S先生は「必ず成長していく」と仰ってくださいました。
「心友」のまきりんは、辛い時にはいつも励ましてくれ、
うれしい時は自分事のように喜んでくれました。
彼女は今でも、心からの友達です。
そういった方々との出逢いのおかげで、
リハビリや日々の努力を諦めずに続けることができたのです。
そして、奇跡を起こしました。
2歳になった頃、首が座り、斜視までも治っていったのです。
身体がぐにゃぐにゃしていたため、お座りも無理だといわれていましたが、
3歳前には、自分の手で身体を支えて座ろうとする姿が見れるようになりました。
また、食べるという普通の行為がみのりにとっては危険を伴うため、
毎回の食事は戦いでしたが、日々の努力が実り、
4歳になる頃には刻んだものを食べられるようになりました。
自分で食べる練習も進みました。
「奇跡は起きるものではなく、起こすものだ!」と思いました。
子供は子供同士で育つ面がたくさんあると思い、保育所に入所を申し込みましたが、
重度障害児であるため、選考から外されました。
納得がいかず、
リハビリセンターの先生方やお母さん方も応援してくださったおかげで、
市の保育課と何度も話し合い、
市内で初めて、重度障害児の入所を受け入れていただくことができました。
保育所では、お友達が助けてくれたり、先生方も色々と工夫してくださり、
お友達と一緒に遊んだり、行事に参加することができました。
みのりもいつも笑顔で、
諦めずに保育所に入れてあげることができて本当によかったと感無量でした。
年長組に進級するにあたり、新たな挑戦をしました。
当時はまだ、つかまり立ちがやっとできるようになった状態だったのですが、
少しずつ階段の上り下りに挑戦していったのです。
家でも続け、小学校に入ってからも続けました。
小学校の間に、歩けるようになってほしい。
ランドセルを背負って歩く姿を見ることが、私の大きな夢でした。
みのりは現在11歳。6年生になりましたが、
ちょうど1年前から歩けるようになりました。
歩き始めた日、みのりが恐る恐る、でも必死に、
自分の足で大地を踏みしめ、1歩1歩歩いてくるのです。
あのときの光景は一生忘れることのできない
「我が子の勝利」の姿でした。
この10年のことが走馬灯のようによみがえり、
その場に泣き崩れてしまいました。
先生方もお母さん方も、一緒に泣いてくれました。
お友達も拍手をして喜んでくれました。
みのりは、厳しいリハビリで大泣きしながらも頑張り続け、
今では1人で階段の上り下りができるようになりました。
素直な心で頑張り続けることで、
「不可能を可能に」「絶望を希望に」変えることができると
みのりは教えてくれました。
人生の師匠と呼ぶべき方がおっしゃった
「絶望は希望に、不可能は可能にできる」という言葉に勇気づけられました。
また、市内の「ゆりかご園」というリハビリセンターの
S先生は「必ず成長していく」と仰ってくださいました。
「心友」のまきりんは、辛い時にはいつも励ましてくれ、
うれしい時は自分事のように喜んでくれました。
彼女は今でも、心からの友達です。
そういった方々との出逢いのおかげで、
リハビリや日々の努力を諦めずに続けることができたのです。
そして、奇跡を起こしました。
2歳になった頃、首が座り、斜視までも治っていったのです。
身体がぐにゃぐにゃしていたため、お座りも無理だといわれていましたが、
3歳前には、自分の手で身体を支えて座ろうとする姿が見れるようになりました。
また、食べるという普通の行為がみのりにとっては危険を伴うため、
毎回の食事は戦いでしたが、日々の努力が実り、
4歳になる頃には刻んだものを食べられるようになりました。
自分で食べる練習も進みました。
「奇跡は起きるものではなく、起こすものだ!」と思いました。
子供は子供同士で育つ面がたくさんあると思い、保育所に入所を申し込みましたが、
重度障害児であるため、選考から外されました。
納得がいかず、
リハビリセンターの先生方やお母さん方も応援してくださったおかげで、
市の保育課と何度も話し合い、
市内で初めて、重度障害児の入所を受け入れていただくことができました。
保育所では、お友達が助けてくれたり、先生方も色々と工夫してくださり、
お友達と一緒に遊んだり、行事に参加することができました。
みのりもいつも笑顔で、
諦めずに保育所に入れてあげることができて本当によかったと感無量でした。
年長組に進級するにあたり、新たな挑戦をしました。
当時はまだ、つかまり立ちがやっとできるようになった状態だったのですが、
少しずつ階段の上り下りに挑戦していったのです。
家でも続け、小学校に入ってからも続けました。
小学校の間に、歩けるようになってほしい。
ランドセルを背負って歩く姿を見ることが、私の大きな夢でした。
みのりは現在11歳。6年生になりましたが、
ちょうど1年前から歩けるようになりました。
歩き始めた日、みのりが恐る恐る、でも必死に、
自分の足で大地を踏みしめ、1歩1歩歩いてくるのです。
あのときの光景は一生忘れることのできない
「我が子の勝利」の姿でした。
この10年のことが走馬灯のようによみがえり、
その場に泣き崩れてしまいました。
先生方もお母さん方も、一緒に泣いてくれました。
お友達も拍手をして喜んでくれました。
みのりは、厳しいリハビリで大泣きしながらも頑張り続け、
今では1人で階段の上り下りができるようになりました。
素直な心で頑張り続けることで、
「不可能を可能に」「絶望を希望に」変えることができると
みのりは教えてくれました。
その後。苦境を乗り越えた今、これから何をしたい?
今は、障害児のお母さんやお父さん、障害者の方々、
そして悩んでいる人や苦しんでいる人を思いとどまらせたり、
悩みを解決する手伝いをしたいと思っています。
どん底の人を、1人でも多く救いたい。
どんな人にも、必ず可能性と使命があると思うからです。
そしてみのりは、
成人になる年に自立できるようになればと願ってます。
みのりには好きなことをたくさんやらせてあげて、
可能性を広げてあげたい。
今はみのりの可能性がどれだけ広がるのかが、楽しみです。
そして悩んでいる人や苦しんでいる人を思いとどまらせたり、
悩みを解決する手伝いをしたいと思っています。
どん底の人を、1人でも多く救いたい。
どんな人にも、必ず可能性と使命があると思うからです。
そしてみのりは、
成人になる年に自立できるようになればと願ってます。
みのりには好きなことをたくさんやらせてあげて、
可能性を広げてあげたい。
今はみのりの可能性がどれだけ広がるのかが、楽しみです。
この生きテクを読んで、死ぬのをやめよう、もしくは生きてみようと思った
この記事を読んで自殺をやめた人
577 人
この記事に対するコメント
じゅんちゅるより:
2016年08月27日 07:06:17
こんにちは、1歳になったばかりの第2子の息子も発達遅れや摂食障害などがあり、MRIは異常ありませんでしたがおすわりも手をついた状態で神経の病気の疑いがあります。お産中の疑念が晴れないまま(医師に相談しても私が精神的におかしいから…と取り合ってもらえません。)。上の娘は幼稚園でありあまりにも状況が似ていて驚きました。まだ診断は下らず、落ち込む日々を過ごしています。まだ気持ちが複雑で辛いですが私達家族の希望ある日が来るのを願って、絶望を希望に!してみせたいと思います!
とよより:
2016年07月20日 23:06:14
現在5ヶ月になる障害児がいます。将来が不安で辛く、子供と一緒に死ぬことばかり考えていましたが、希望が持てました。でも、うちの子はどこまで発達するだろうか...その不安が続く限り私の精神が蝕まれて死ぬことを考え続けてしまうと思います。
テンポより:
2016年03月23日 19:09:49
希望を忘れていました。
まだ自分にもできることがあるのではないかと思いました。
流産、姪の死別、長女の発達障害、離婚、実家との不和…全てないものにはならなくても、自分の道を進んでみようかと考えました。
何かを始める気になりました…苦しいけれど死ぬことは最後にします。
ブラックダイヤより:
2015年05月19日 00:26:28
不倫で産み落とされた私でした。常に比べられ、アルコール好きな母親に育てられてきました。幼い頃から食べ物や住む場所に苦労してきました。常に自分の環境を怨んできました。社会人になっても、仕事は長続きせず、自宅に引きこもったりして傷つかないようにと生きてきました。もう、いい年齢になります。しかし、最近社会復帰をし薬を飲まずうまくいっていましたが再発。職を無くし妻子を食べさせていく為に将来への不安。また、薬に頼りながら薬漬けの毎日になるのでは?と。しかし、最近生まれた私のこども。とても可愛い。ふと、赤ちゃん3ヶ月可愛いというキーワードで検索してみると、このサイトに飛びました。読んだ瞬間に
心を打たれました。大切なことをずっと忘れていたのでした。とても自分が恥ずかしくなりました。小学校の頃、小児麻痺の同級生のお世話をしたこと、高校を一般で行くために署名を率先して協力したこと。思い出しました。
有り難うございます。
三重県民さんより:
2015年02月16日 21:37:00
私が幼いとき父は私と母に暴力をふるい、10歳のとき不倫をして出ていきました。優しかった母は鬱になりアルコール中毒になり詐欺にあって借金を作り私を親戚に預けたまま行方がわからなくなりました。
借金はその親戚からしていたので私は疎まれていて、なんとか借金は中学を卒業した後働いて返せましたがやはり親戚のみなさんには家族とは認めてもらえませんでした。
高校に行けなかったので社会の目は冷たく厳しいものでした。二十歳過ぎで諦めを感じていました。
そんなときこの記事を読みました。まだ私にも未来はあるのだと気づかされました。私はまだ諦めるのには早過ぎでしたね。幸せは見つけようと思えばきっと近くはなくてもあり、みつかるはずなのに。もう少し頑張ってみようと思います。本当にありがとうございました。
穂のかより:
2014年10月26日 05:37:16
はじめまして。
私は、今日死のうと思っていました。
新しく転職した会社で、役に立たず、其ばかりか
初めて交際した彼氏には、音信不通になられるし
でも、生きてみます。
今日からまた、真剣に生きてみます。
ありがとうございました。
まあより:
2014年07月09日 01:03:20
ありがとうございます。
うちの障害は違いますが、この記事を読み救われました。
子供は高度難聴です。
新生児聴力検査にひっかかり何度も検査してもうすぐ5ヶ月になります。
毎日子供の未来に絶望し正直死んじゃえば良いのに、一緒に死にたいしか考えられませんでした。
少し前を向けました。
ありがとうございました。
まぴんより:
2014年02月18日 00:55:04
涙が出た。
なにかに苦しんでいる一人でも多くの方に読んでもらいたい。
前に進む勇気をもらいました。
頑張れる力をもらえました。
ありがとう。
yunakanoより:
2014年01月09日 01:42:07
次女が障害を持って生まれました。
今3歳ですが出口が見えない中で死に場所を探して来ました。
娘に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
私が生まれてこなければこんなことにはならなかった。
娘の寝顔を見ては涙が出ます。
どうやって生きていけば良いのか答えが見つかりません。
お迎えが来るその日まで・・必死で生きていけばいいのでしょうか。
りくママより:
2013年11月28日 10:51:05
私の子どもは新生児仮死で誕生し、低酸素脳症が原因で運動発達に影響がでています。現在生後10ヶ月で、療育に通いながらも診断をもらえない日々‥全く成長しない息子をみて、一生このままの状態ならばいっそ、死んでしまいたい、消えてしまいたい、と思う毎日です、、、私さえいなければこの子は別の母親のもとで苦しまないで産まれてこれたのに、、未来がみえないことが怖いです。生きるのが辛いです。
junjunより:
2013年10月28日 09:44:00
私にも子供がいて、奇跡は自分でおこすものだ!!と感動しました!!
生きているってあたりまえではないですね。
生きる勇気をいただきました。私もがんばろうと思います。
みつより:
2013年10月25日 11:09:59
私も重度障害児の母です。
娘はまだ1才8カ月です。
生まれてすぐに嚥下できませんでした。
今年6月に急性脳症にかかり、運動機能までも失いました。
でもここに書かれているように
全ての事に意味があり、私と娘にしかできない使命があると確信しています。
私も落ち着いたら同じ境遇の方の支援をしていきたいです。
諦めたらだめです。人生どん底になった時こそが自分を変える最大のチャンスです!
ゆうままより:
2013年07月21日 22:11:19
息子が病気をもってうまれて、6カ月になっても首もすわらないし笑わないし、ほとんど眠っていて
将来は歩けないどころか、寝たきりか、人形のようになってしまうんじゃないかと思っているが、これを読んで
奇跡は起こすもの。そうなのか!!と思いました。
まだ6カ月。母親が信じてあげなくてどうすんだと、思えました。
これから始まる療育やら、普段の接し方やら、のびれるように
ガンバってみます。
ちーたん★より:
2013年05月24日 16:05:46
子供を育てる親として、涙が止まらない状況になりました。
みのりちゃんが増々元気で幸せになってくれることを祈ります。
ゆうきより:
2012年10月07日 13:37:33
私も幼い2人の子供を育てている母親です。
私とは悩みや状況は全く異なりますが、読んで前向きな気持ちになれました。
我が子を育て、人生の困難に負けずに立ち向かおうと思いました。
100年より:
2011年12月21日 11:34:20
私も障害児の母です。
わが子の勝利…うちの場合は何なのかかんがえてみたいです。
Tより:
2010年08月30日 05:21:17
私は37歳の男です。
長年勤めていた会社をただ逃げ出したい一心で辞めてしまいました。
子供は2歳半でワンパクで親の言う事を聞きません。。がそんな事はちっぽけな事ですね。
子供も五体満足、親も五体満足、本当に幸せですよね。 すごく中途半端な自分ですが自分なりにがんばって生きようと思います。
本当に小さい事ですいません。。。。
たけおじちゃんより:
2010年01月07日 15:31:24
統合失調症を発症して20年になります。
41才で初めてたった1ッ月だけど恋愛し
失恋しました。このサイトは前から知っていたけど
こんなに心に響いたのは初めてです。
生きテクの本も買いました。14才でパージャー病の方の体験には泣き崩れました。
精神病はまだましとさえ思えるようになってきました。
この生きテクのライセンス
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