35歳の若さで女房は天に召された。残された私は…
生きテク提供者
名前: 名無しさん
性別: 男性
職業: 正社員
最も自分に過酷だった状況
私が31歳で女房が30歳の時だった。
気丈な女房で誠心誠意、私に尽くしてくれた。
しかし、胃癌が発覚。
手術をする運びとなった。
ある日、部屋から地鳴りのような声が聞こえてきた。
女房が苦しんでいる。
私は無力さと共にその場にたたずみ、
何もできない自分に憤りと、深い苦しみをおぼえていた。
癌は肺に転移していた。
ショックを与えないように、
本人にも子供たちにも病名は告げなかった。
後で聞いた話だが、子供たちは、
母親が癌であることが、うすうすわかっていたようである。
気丈な女房で誠心誠意、私に尽くしてくれた。
しかし、胃癌が発覚。
手術をする運びとなった。
ある日、部屋から地鳴りのような声が聞こえてきた。
女房が苦しんでいる。
私は無力さと共にその場にたたずみ、
何もできない自分に憤りと、深い苦しみをおぼえていた。
癌は肺に転移していた。
ショックを与えないように、
本人にも子供たちにも病名は告げなかった。
後で聞いた話だが、子供たちは、
母親が癌であることが、うすうすわかっていたようである。
どんなふうに苦しかったか?
4年間の入院生活を経て、
35歳の若さで女房は天に召された。
あとに残された私と3人の娘。
私は何も手がつかなくなり、毎日茫然としていた。
家庭のことと仕事の両立。
夜になると、
ただただ悲しみが胸一杯に広がり、
自然と涙が枕を濡らしていた。
思い出の中だけに生きている日々だった。
35歳の若さで女房は天に召された。
あとに残された私と3人の娘。
私は何も手がつかなくなり、毎日茫然としていた。
家庭のことと仕事の両立。
夜になると、
ただただ悲しみが胸一杯に広がり、
自然と涙が枕を濡らしていた。
思い出の中だけに生きている日々だった。
かいけつ!「これで助かった」という方法は?
そんな状態が2年は続いた。
目の前の仕事や家事をこなして
なんとかやり過ごしていた。
その日も普通に目覚めてトイレへと向かった。
すると、壁にいつの間にかある言葉が貼ってあった。
「何事も、我が試練とぞ思いける。
それ故にこそ吾は楽しく」
それは私が勤務先の病院に
掛けてあったカレンダーの言葉。
子供たちに問いただすと
小学校6年生の長女がこの言葉を貼った事がわかった。
「お父さん」
長女が私に言った。
「お父さんが辛いのはよくわかります。
でも、子供の私たちの方がもっと辛い」
「でも、がんばってるんです」
「お父さんがここでへこたれたら、
私たちはどうすれば良いんですか。
…だから、がんばってください!」
この一言に、私はハッとさせられた。
子供たちこそ、どんなに心細かったことか。
娘の行動が私を勇気づけてくれた。
しっかりしなくては!
私は負うた子に教えられたのである。
目の前の仕事や家事をこなして
なんとかやり過ごしていた。
その日も普通に目覚めてトイレへと向かった。
すると、壁にいつの間にかある言葉が貼ってあった。
「何事も、我が試練とぞ思いける。
それ故にこそ吾は楽しく」
それは私が勤務先の病院に
掛けてあったカレンダーの言葉。
子供たちに問いただすと
小学校6年生の長女がこの言葉を貼った事がわかった。
「お父さん」
長女が私に言った。
「お父さんが辛いのはよくわかります。
でも、子供の私たちの方がもっと辛い」
「でも、がんばってるんです」
「お父さんがここでへこたれたら、
私たちはどうすれば良いんですか。
…だから、がんばってください!」
この一言に、私はハッとさせられた。
子供たちこそ、どんなに心細かったことか。
娘の行動が私を勇気づけてくれた。
しっかりしなくては!
私は負うた子に教えられたのである。
その後。苦境を乗り越えた今、これから何をしたい?
それからは「悩みは成長飲料水」と
自分に言いきかせて前向きに生きることにした。
今は医療界のために医者のお手伝いをしている。
その後も仕事面や生活面で大変なこともあったが、
子供の言葉がいつも私を激励してくれる。
人生まだまだこれからだ!!
自分に言いきかせて前向きに生きることにした。
今は医療界のために医者のお手伝いをしている。
その後も仕事面や生活面で大変なこともあったが、
子供の言葉がいつも私を激励してくれる。
人生まだまだこれからだ!!
この生きテクを読んで、死ぬのをやめよう、もしくは生きてみようと思った
この記事を読んで自殺をやめた人
84 人
この記事に対するコメント
Mより:
2017年07月03日 11:36:00
2012の5月に祖父を亡くしました。85才でした。
しかし、葬儀の日はどうしても行きたかったイベントがありました。
最初、両親から「今度にしなさい」と言われたものの、祖父がいなくなったという現実が受け入れられなかった上、一刻も早く暗い気持ちから解放されたくて「こんな時だからどうしても参加したい」「通夜には絶対に参加するから!」と話したところOKをいただきました。
それからも両親に「葬儀に参加しないなんて…」と言われ続けたのですが、通夜の日はやってきたいとことそのイベントの話で盛り上がりました。そのおかげで、笑顔で祖父にお別れを言えました。
時間の関係上、早めにイベント会場に行きましたが、イベント自体は普通に楽しめました。と言うよりもいつも以上に楽しかった気がします。
その後、いとこの家族と一緒に中華料理店で夕食を食べ、夕食後は父といとこと共にゲーセンに行き、楽しいひと時を過ごしました。
本当は悲しい日になる筈だった日が、笑顔あふれる日になりました。
最初は「どうしていかないの?」と泣きながら話す母親の姿を見て戸惑いもありましたが、イベントに参加しているうちに悲しい気持ちをずっと引きずっていては何も始まらないということが分かってきました。
今でも、葬儀に参加しなかったのを後悔していません。
それどころか、小さいころ好きな所に連れて行ってくれた祖父からの最後のプレゼントだと思っています。イベントに参加するのを許してくださった祖父に本当に感謝しています。
最近、妻を亡くした有名人が悲しみを癒すために子どもたちと共にTDLに行っていたことを非難する書き込みがあるようですが、一刻でも悲しみを癒したいという気持ちをなぜ非難できるのでしょうか?
全く理解できません。子どもたちにとって母親からの最後のプレゼントとなって一生の思い出になるというのに…。
よちこより:
2012年12月03日 11:14:09
親から異性から同性から、受けて来た身体的精神的な暴力苦痛により、自分をポジティブに評価することができないで葛藤中です。
諸事情より離婚し、子供は8歳、正々堂々と、ちいさな心身でせいいっぱい生きてるんだと気付いては励まされる毎日ですが、
子供に負わせてしまう自分の無力さに打ちひしがれると、物事の価値がどんどん軽くなります。
わたしは親子の信頼関係に、すべての人間関係のもとが凝縮されていると思っています。
自分が子供のときには、あたたかい絆を感じる事が出来なかったけど、自分が親になった今、少しでも子供によいものを残せるよう、頑張ってます。
手記中の、娘さんの言葉(正しくはその言葉を支えに、家族を支えようと必死に生きる気持ち)に、わたしも胸打たれました。
著者は、かけがえない大事な存在をなくされての毎日、どんなに孤独でおつらかったことでしょう。
わたしは、私を支えようとしてくれる人の気持ちを信じる勇気を構築中です。自分の可能性を信じ、他の可能性を信じたい。
成長飲料水っていいですね*
ぶーちゃんより:
2010年07月09日 12:21:38
私の主人も13年前に亡くなりました。
享年23歳です。
結婚して一カ月半の出来事でした。
その時おなかの中には娘がいました。
結婚。葬式。出産。一年で三つのことを乗り越えてきました。
私もいま娘に支えてもらいながら生かされています。
この記事を読んで同じように子供にエールをもらいながら生きている人が居ると思ったらファイトがわいてきました。無理はせずに生きましょうね。ありがとうございました。
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