『身体系』生きテク一覧
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[投稿日:2010/12/09]
入院していた時にその後の自分の人生に大きな影響を与えてくれる二人の人と出会うことができた。
その一人目が僕より5歳年上のSさんとの出会いだ。Sさんは僕と同じように重度のやけどを負って同じ病院に入院していた。
僕は自分より酷い状態だった(と思ってい...
[投稿日:2010/08/18]
ある時鏡を見たら、お化けみたいな顔をした自分がいました。
客観的な自分の状況、「こんな風に人からは見えるんだ」と思って、
顔を洗ってみたら不思議と気分もすっきりしていました。
数日後、化粧もしてみると、
久々にまともな顔の自分が...
[投稿日:2008/08/12]
私には、励ましてくれる家族、友人、障害児のお母さん方がいました。
人生の師匠と呼ぶべき方がおっしゃった
「絶望は希望に、不可能は可能にできる」という言葉に勇気づけられました。
また、市内の「ゆりかご園」というリハビリセンターの
S先生は「必ず成...
[投稿日:2008/06/14]
リストカットができないので、
濃いピンクのペンで、
ムカついただけ自分の腕に線を引いて、
遠目から見てリストカットに見える感じにしました。
そうすると、
少しだけ自分の気持ちも落ち着きます。
母が見て、一瞬気にかけてくれるのも
親の愛を感じられ...
[投稿日:2008/05/18]
入院したことで社会とは一時的だが、
離れた環境に身を置くことになり、
冷静にいろいろな事を見つめ直すことができた。
まず、幼い頃より母に言われ続けた
「とりあえず笑え」という言葉を思い出した。
今考えると、節目節目で笑ってる自分。
そう考えると、...
[投稿日:2007/10/28]
死ぬ方法が分からず、高野山の伽藍にある大日如来さんの前で
泣き続けた。一時間以上号泣していたと思う。
そうしたら、チケットもぎりの年配の女性が
「どうされましたか?」と話しかけてきた。
「死にたいけど死ねない」と言うと、
「ここには死にたくても死...
[投稿日:2007/10/27]
中学のときに、暴走族の人5人に殴り蹴られていた。
表情が変わらなかったために、さらにエスカレートしていった。
そこに
暴走族のリーダーが現れ、助けられて、謝ってくれた。
友になってくれた。
そこから人と初めて話し始めた。
障害者でも健常...
[投稿日:2007/10/27]
とにかくは、経済的な安定を自らの力だけに
頼ろうとしたら無理をするしかない。
そうなると治るものも治らない。
→不遇な自分が世の中の超お荷物に感じて、
毎日自殺を考えない日はなかった。
そこで、家族に全面的協力を依頼し、
自分のスキルを社会に向...
[投稿日:2007/10/25]
経験から、一生懸命やり通せば次第に慣れて作業が早くなり、
周囲にも認めてもらえるはずと思い、
余計なことを考えず、目の前の事に集中した。
大将よりうまく出来る自負があり、ひたすら頑張った結果、
作業が早くできるようになり、他の社員にも認められるよ...
[投稿日:2007/10/10]
当時、自分の公立の中学の部活にゴルフ部があり、
そこに打ち込むことで、非常に気持ちが軽くなった。
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