岩手県の牧場が、私をストレス社会から開放してくれた
生きテク提供者
名前: 名無しさん
性別: 女性
職業: 主婦
最も自分に過酷だった状況
今から6年前32歳の夏、長女が2歳の誕生日を迎える少し前のこと、
夫(当時38歳)との言い争いが発端で
生活すべてが嫌になってしまいました。
20代の頃、都会での仕事にあこがれて、
山梨から東京に出て来た私でしたが、
今ではその気持ちもすっかり色褪せ、
また、家庭の中で日常を繰り返しているうち、
そんな惰性のような日々をこのまま送って良いのか?
と漠然と憂えていました。
ほんの些細な口ゲンカだったのですが、言葉のやり取りの中で、
自分の存在価値を全て否定された気がして
私はすっかり落ち込んでしまいました。
夫(当時38歳)との言い争いが発端で
生活すべてが嫌になってしまいました。
20代の頃、都会での仕事にあこがれて、
山梨から東京に出て来た私でしたが、
今ではその気持ちもすっかり色褪せ、
また、家庭の中で日常を繰り返しているうち、
そんな惰性のような日々をこのまま送って良いのか?
と漠然と憂えていました。
ほんの些細な口ゲンカだったのですが、言葉のやり取りの中で、
自分の存在価値を全て否定された気がして
私はすっかり落ち込んでしまいました。
どんなふうに苦しかったか?
その時、おそらく軽いウツの状態だったのかもしれません。
子どもと接する事すら苦痛になり、
自分で納得して結婚したはずなのに、夫の存在が疎ましく思え、
家事も育児も放り出して逃げてしまいたくなりました。
自信喪失から自らを責め、夜中に不安な思いから目が覚めて、
一人でシクシク泣いたりもしました。
苦しくて悲しくて、子どものあどけない笑顔を見ると余計に辛く、
このままでは子育てにも支障をきたし、
なにかとんでもない間違いを犯しはしないかと、
自分で自分が理解できない有様でした。
子どもと接する事すら苦痛になり、
自分で納得して結婚したはずなのに、夫の存在が疎ましく思え、
家事も育児も放り出して逃げてしまいたくなりました。
自信喪失から自らを責め、夜中に不安な思いから目が覚めて、
一人でシクシク泣いたりもしました。
苦しくて悲しくて、子どものあどけない笑顔を見ると余計に辛く、
このままでは子育てにも支障をきたし、
なにかとんでもない間違いを犯しはしないかと、
自分で自分が理解できない有様でした。
かいけつ!「これで助かった」という方法は?
その苦しい最中、私の大切な友人のご実家で、
岩手県にある「ちいむれ牧場」 の事を思い出しました。
ひょっとすると、私がかつて観た映画、
「ガイアシンフォニー」の中で紹介されていた
初女(はつね)さんの"イスキア" と
同じようなところかもしれない。
(編集部注:生きテクの種「初女さんのおむすび 」にも記載あり)
そう思った私は「ちいむれ牧場」に行ってみよう、
と決意したのでした。
夫に自分の悩みを話す心境にはなれなかったため、
山梨の友人が病気なのでお見舞いに行く、
と嘘をついて、私はひとり岩手に向かいました 。
当時は在来線をいくつも乗り継いで行かねばならず、
とても長い旅でした。
奥中山という駅に降りると、
ご両親と、ご両親の経営するペンションで共に働いている、
知的障害のあるMさんの3人が
笑顔で私を出迎えてくれました。
その光景を目にした時、
なぜだか懐かしい感覚が胸に生まれ
私はここで生き返れる!
という思いでいっぱいになり、
自然と目から涙がこぼれ落ちました。
大自然に囲まれた「ちいむれ牧場」とそれを囲む
近隣のコミュ二ティは、
それは、愛に満ちた天国のような別世界でした。
手作りの料理、温かい言葉、優しい空気に包まれ、
その日、私はは久しぶりに心穏やかな眠りにつくことができたのです。
翌朝はまだ薄暗い早朝に目が覚めて、
すっきりした気分で、周囲を散歩しました。
そうして非日常の居心地の良さに身を委ね、
すっかり太陽が昇り、朝日を全身に浴びながら、
大自然の中で深呼吸をした時、
無性に娘に会いたくなりました 。
湧き上がる愛おしい感情に、我慢ができなくなった私は、
急いで帰路に着いたのでした。
岩手県にある「ちいむれ牧場」 の事を思い出しました。
ひょっとすると、私がかつて観た映画、
「ガイアシンフォニー」の中で紹介されていた
初女(はつね)さんの"イスキア" と
同じようなところかもしれない。
(編集部注:生きテクの種「初女さんのおむすび 」にも記載あり)
そう思った私は「ちいむれ牧場」に行ってみよう、
と決意したのでした。
夫に自分の悩みを話す心境にはなれなかったため、
山梨の友人が病気なのでお見舞いに行く、
と嘘をついて、私はひとり岩手に向かいました 。
当時は在来線をいくつも乗り継いで行かねばならず、
とても長い旅でした。
奥中山という駅に降りると、
ご両親と、ご両親の経営するペンションで共に働いている、
知的障害のあるMさんの3人が
笑顔で私を出迎えてくれました。
その光景を目にした時、
なぜだか懐かしい感覚が胸に生まれ
私はここで生き返れる!
という思いでいっぱいになり、
自然と目から涙がこぼれ落ちました。
大自然に囲まれた「ちいむれ牧場」とそれを囲む
近隣のコミュ二ティは、
それは、愛に満ちた天国のような別世界でした。
手作りの料理、温かい言葉、優しい空気に包まれ、
その日、私はは久しぶりに心穏やかな眠りにつくことができたのです。
翌朝はまだ薄暗い早朝に目が覚めて、
すっきりした気分で、周囲を散歩しました。
そうして非日常の居心地の良さに身を委ね、
すっかり太陽が昇り、朝日を全身に浴びながら、
大自然の中で深呼吸をした時、
無性に娘に会いたくなりました 。
湧き上がる愛おしい感情に、我慢ができなくなった私は、
急いで帰路に着いたのでした。
その後。苦境を乗り越えた今、これから何をしたい?
あの「ちいむれ牧場」は、
ストレスだらけの社会とは無縁の世界でした。
こころが窮屈で苦しんでいる人は、
一度尋ねてみてほしい場所です。
「ちいむれ牧場」のオーナーである渡部さんは、
知的障害者のMさんと共に仕事をしながら、
多くのことを彼から学んでいる 、とおっしゃっていました。
その言葉が印象的で、
私は健常者とハンデを持った方達との橋渡しがしたい、
と思いうようになりました。
長女も小学生になり、次女も生まれました。
現在、夫とは、お互いを理解しあい、
助け合いながら仕事、生活を続けております。
あの葛藤の日々があったからこそ、
私は「ちいむれ牧場」を知り、
現在の生き生きとした自分があると思っております。
ストレスだらけの社会とは無縁の世界でした。
こころが窮屈で苦しんでいる人は、
一度尋ねてみてほしい場所です。
「ちいむれ牧場」のオーナーである渡部さんは、
知的障害者のMさんと共に仕事をしながら、
多くのことを彼から学んでいる 、とおっしゃっていました。
その言葉が印象的で、
私は健常者とハンデを持った方達との橋渡しがしたい、
と思いうようになりました。
長女も小学生になり、次女も生まれました。
現在、夫とは、お互いを理解しあい、
助け合いながら仕事、生活を続けております。
あの葛藤の日々があったからこそ、
私は「ちいむれ牧場」を知り、
現在の生き生きとした自分があると思っております。
この生きテクを読んで、死ぬのをやめよう、もしくは生きてみようと思った
参考文献・資料
※生きテクサイトは、内容に関して推奨するものではなく、
「これをやったら死なずにすんだ」という事実を載せているサイトです。
※きらめき村「ちいむれ牧場」
岩手県二戸郡一戸村奥中山-にのへぐんいちのへむらおくなかやま-
TEL&FAX: 0195-35-3223
渡部 實(わたなべみのる)
「これをやったら死なずにすんだ」という事実を載せているサイトです。
※きらめき村「ちいむれ牧場」
岩手県二戸郡一戸村奥中山-にのへぐんいちのへむらおくなかやま-
TEL&FAX: 0195-35-3223
渡部 實(わたなべみのる)
この記事を読んで自殺をやめた人
59 人
この記事に対するコメント
うつ経験者より:
2010年10月08日 08:19:06
私も実家から遠くはなれた場所で友達もいない状況で1歳の娘と毎日24時間むきあっているのがつらくて。ダンナはカンジタなのに私と娘のいないときにデリヘルを自宅に呼ぶ始末。だらしない性分で家事育児も手伝ってくれないし、上げ膳据え膳ふとんのあげおろしまで私にさせます。おまけにケチで財布の管理はダンナがしています。
逃げ場のない毎日。だれもわかってくれない、手伝ってくれない。
実家に帰っても母親とのささいな口論で「それでも母親か」と言われて以来、わだかまりが溶けず頼りたくないと思うように。
孤独だし、毎日疲れて、朝起きても体がひどくだるくて子供の世話をするのが本当に嫌だと思うようになりました。気づくと「死にたい」と何度もつぶやいてました。
そんなとき「自殺」と検索してこのサイトをみつけ、こちらの記事を読みました。私も気分転換に一日でも子供と離れて自分をみつける時間ができればまたもとに戻れるような気がしました。
この生きテクのライセンス
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