内科医として働き始めて2年後の26歳の時、過酷な労働、良心の呵責を覚える医療の現場の現実にストレスを強く受け、
うつ病となり、仕事を辞めた。
精神病院は退院の時期が定まっている訳ではないので、一生出られないかも知れず、生きている実感を味わうことを努力していなければ、人間として機能しなくなるという恐怖感があった。
人間らしさを維持する為に必要と考え、実家に当時15,000円ぐらいしたラジカセを買ってくれとFAXを送ったところ、院内の規律を乱すものと思われたのか、院長を始め、病院のトップ達が自分のところにやってきた。
これはまた閉鎖病棟に入れられると判断、自由を奪われたくなかったため、手に入れてあったナイフで2度目の自殺を図った。
状態はかなり危険であったが病院に運ばれ手当てを受け、再び精神病院に戻され、
結局6年4ヶ月もの間、私はそのような環境の中に閉じ込められていた。
その間に 多くの書物を読み、精神病の専門的な知識を身に付け、精神科の医師とも対等に渡り合えるようになった。 結果、院内の職員達から一目置かれる存在に。
いつしか待遇面、薬の処方についても私の意見が尊重され、ある程度、優遇されるようになった。
やがて、私に大量の薬を投与した医師は、糖尿病のため退職となり、院内での人事異動が行われた。
その結果、私は軽症であることが認められ、晴れて退院が許された。そして、再び自由を手に入れることが出来た。
幸いなことに、私の両親は共に医師で資産もあり、働かなくとも生きていける恵まれた環境にある。
一生懸命やったり、頑張ったりはせず、失われた日々を楽しむかのように、ゆったりと毎日を楽しく暮らしている。
沢山の薬の副作用のせいで今でも睡眠薬のお世話にならないと眠れないという後遺症はあるものの、ほとんど健常者と変わらない。
これからは、薬を氾濫させる事が当然であると考えている医師たちに呼びかけ、誤った治療方法で人権を奪われたり、自ら死を選ばざるを得なかった人を、ひとりでも多く助けていきたいと思う。
一方で政府に不用意な精神医薬の使用を認めさせないよう、働きかけていきたいと思っている。
これ以上、その為に死を選ぶ人達を増やさない為に。
生きテク・フォーラムは、体験や知識を共有し合い「心がホッとする方法」「悩みの乗り越え方」「生きづらさの解消」に迫ることを目的としたイベントです。