2歳の時、父の仕事の都合でメキシコに渡り、
私は、日本人でありながら、日本を知らずに育ちました。
小学校に入学するとき帰国したのですが、
日本は、私にとって何もかもが初めての国でした。
特に困ったのは、言葉が通じないこと。
ただ言葉が話せないだけなら、まだよかったのだと思います。
日本語がしゃべれない私の周りに、
クラスメートたちは魚の群れのように集まってきました。
そんな状況は、おそらく自然なことであったのでしょう。
少なくとも日本においては・・・。
けれど、海外で育った私にそれは理解できませんでした。
何が起こっているのか分からない私一人が、周囲に取り残されている。
大勢の人間に取り囲まれ、何をされるかわからない不安を感じていました。
ただでさえ日本語が話せない私は、一層委縮してしまい、
貝がかたくなに身を守ろうとするように、周囲を拒絶していったのです。
そんな私は、やんちゃなクラスの男子にとって格好の標的になってしまいました。
気付くと下校途中、クラスの男子から待ち伏せされたり集団でけられたり、
傘で殴られたりしていました。