まず、親と親友から「あんたが死んだらどれだけ私が悲しむと思ってるの!」と泣かれたこと。
終始気丈にふるまってくれていた親友が唯一見せた涙に、心が痛んだ。
なんて馬鹿なことをしようとしていたんだろう、と。
自分のことを大切に思ってくれている人がいる以上、まだ死ねないと思ったし
亡くなった子どものために一生懸命生きようと思った。
でも生き続けるのには、背負ったものが大きかった。どこに悲しみをぶつけたら良いか分からなかった。
そこで子どもの供養塔を実家近くの墓地に立てた。
お地蔵さんの形をしている水子地蔵。
子どもはいなくなってしまったが、この水子地蔵を見るたびに亡くなった子の魂がそこに宿っているように思えた。
そうして供養をする対象が目に見えることで、少しずつ心が楽になっていった。
今も帰省する度に必ずお参りに行って、「お母さんは今こんなに元気にやってるよ」と話しかけてあげています。 少しでも天国に行かせてしまった子どもが寂しくないように。
最後は、時が癒してくれました。
その後数年は思い出す度に泣き続けていました。
外で子どもを見るたびに、「産んでいれば、あの年になっていたのだろうか・・」と悔やみます。
それでも今となっては時間がずいぶん癒してくれました。
もうフラッシュバックは無く、当時のどこにぶつけたら良いか分からない悔しさも薄れてきました
ただし、完全に傷は癒えたわけではありません。