妹と弟の面倒を見ながら働く日々は、
自分の感情や欲求を
後回しにする生活でした。
二人の学校行事に参加したり、
進学のために必要な費用を
工面したりする中で、
「自分の人生は何のためにあるのか」
という疑問が次第に膨らんでいきました。
彼らに愛情がないわけではありません。
ただ、時折、感謝の言葉もなく、
それが当たり前だという態度に
変わりつつあることに気づくと、
心の中に虚無感が広がりました。
特に辛かったのは、
自分の苦労が
「カタチのない」ものに
なっていることでした。
給料の大半を
生活費や教育費に使い、
残るのは疲労感だけ。
妹や弟の笑顔を見るたびに
「これでよかったのだ」
と思う反面、
「自分が何かに感謝されることはないのだろうか」
と孤独を感じる瞬間もありました。
夜、一人になると
死にたいが、死んだら残された家族が心配で死ねない
だからこそ、
「事故とかににあって死ねば
自分は楽になるし家族にはお金がはいる」
早く事故とかにあって死にたい。
偶然殺されたいとまで考えていました。
そんなある日、
中学生の頃に読んだ
フランツ・カフカ(※チェコの著名な小説家)
の『変身』を
ふと思い出しました。
この物語は、一家の大黒柱だった
青年グレゴール・ザムザが、
ある朝目覚めると
巨大な毒虫になってしまうところから始まります。
彼は働けなくなり、
家族から疎まれ、
次第に世話もされなくなります。
彼がかつて稼いだお金で生活していた家族は、
彼を「役に立たない存在」と見なすようになり、
最終的には彼が死んでも
「ようやく自由になれた」
と前向きに生活を続けます。
この物語が私の心に深く刺さりました。
グレゴールが虫になった後に感じる
孤独感や疎外感は、
私自身の状況と重なっていました。
家族を支えるために働いてきた私も、
もし突然働けなくなれば、
同じように邪魔者扱いされるのではないかと感じました。
そして、グレゴールが
自分の思い出の品にへばりつきながら、
「かつての自分」を取り戻そうとする姿は、
私が失った人生の希望を
追い求める心情そのものでした。
また、グレゴールの死後、家族が
「なんだかんだで生き抜いていく」
姿を描いた結末を読んだ時、
私の中で一つの確信が芽生えました。
「自分がいなくても、家族はどうにか生きていける」
という考えが、
悲しい現実として腑に落ちたのです。